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マジックにかかる

昨日は頭痛がしていたが、それ以外にも全身倦怠感があった。
だるさ+肺の辺りが若干痛い。なんだか良く解らなかったが、私は肩こり持ちでひどくなると頭はガンガン、目の奥は鈍痛、最悪歯まで痛くなってしまう。肺そのものではなくその周囲の筋肉からの痛みのように感じたのでいつも携行している薬を飲んだ。そうしたら痛みは大分楽に。多分肩こりに類する症状だったのだろう。タバコの本数減らさないとダメかと思ったが大丈夫そうだ。
だるさについては今日も引き続きあった。「ファイトぉー、いっぱぁ〜つ」でお馴染みの某ドリンク剤でも飲もうかと思ったけど、あまり気が進まずやめた。
今日は外来受診日である。なので続くようなら相談しようと思っていた。

診察。いつもは不思議なことに自然と「今日はこんなコトを話そう」とか思うことが多い。しかし今日は不調である。何を話そうかと考えても纏まらない。思考抑制・判断力の低下が関係しているのは明白だろう。とはいえ「何も話すことがないんです…」とも言えないから主治医の blog を読んで思ったこと、自分の blog を始めたこと、そしてその内容などを話そうかなあなどと考えていた。
順番がやってきたので診察室へ入る。笑顔で迎えてくれた。

「先生、blog にこんな事書いてありましたけど大丈夫ですか?」などと話し、先生も大変だなどと内心思う。すると「抑さんはどうなの?」との問いが。私が患者なんだから当たり前だけど。それで「良くないんです」と応えた。
とあるイベントでちょっとしたお手伝いをして疲れたのを引きずってること、自分で blog を作ったことを続けて話す。
お手伝いについて。それは滞りなく終わったので問題はなかった。ただ、自分の中で「これで良かったのかなあ?」という疑念がわき起こり、なんとか消化しようとしていた。そして無事消化したつもりでいた。でも、やっぱりどこか引っかかるところがあったんだろう。だからその疲れが出ているのかもしれないと報告。
blog の件。こちらは開設したものの閲覧してくださった方が少ないので落胆していると話す。
まあ、作ったばかり、もっと言ってしまえば私の独り言を勝手気ままに書いているだけだから「見てもらうために書いている」という意識はないつもりだった。だが実際にはどこかで期待していたようだ。そこに自分自身に対しても本音と建て前が交錯しているんだろうなあと感じている。これも話すと「それはあるだろうね。でも、始めたばっかりだし当たり前だよ」と。少し気が楽になった。
ついでに先日髪を切りに行った時の一件も話す。ちなみに詳しい内容は別項「先日」に書いてある。http://donkeysear.exblog.jp/11033356/

改めて考えると医師に今まで伝えていなかったことがある。
「醜形(しゅうけい)恐怖」と「自己臭恐怖」。
主治医は「何でそんな大事なことを今まで話さなかったの?」と尋ねてきた。うーん、なんだろう。思っていても言えなかったし他の話題で時間切れになってしまった面もある。
自己臭については大分前(3代前)の主治医に話したような気もするけど…。どうだったかなあ。

主治医曰く「この二つだけでも凄く大変でしょ?。だから人前に出るのは凄く気を遣うでしょ?」と。Yes it is. である。
この二つの恐怖症、きっかけを尋ねられた。私「それが良く解らないんです」。
自己臭については元々汗っかきなので「多分汗くさいだろうなあ」と感じてはいた。それと、同じく汗っかきの人に言われたこともあった。なのでこれがきっかけに当たるのかもしれない。
醜形について。これは全く解らない。物心付いたとき、既に「自分は不細工である」と認識していたから。一時は整形手術を考えたくらいだ。さすがにそこまでは思わなくなったけど。でも基本は変わっていない。誰がなんと言おうと私は不細工だと思っている。
だからいくら外見を繕ってもダメ。私の心が初めから受け入れる余地を持っていないのだから。
この2大コンプレックス(まだ他にある気もするが???)によって対人関係へ支障を来しているのは紛う方なき事実であることを再確認。これじゃあ異性に対して強くアピールできるわけがない。
他にもいくつか新たな発見があった。まだ自分で整理が付いてないので機会を改めて書こうと思う。

それにしても今の主治医。本当にスゴイ。もう他の表現が思い浮かばないくらいスゴイのである。
そうだなあ、月曜日 20:40 前後の状態だ。えっ?何それ?。あ〜、遠回しすぎたカナ。水戸黄門の印籠を突きつけられたくらい驚いてしまう。
これはもうマジックだ。

今までにも「できるナ」と思った精神科医は数人いる。
一人は長い間主治医をしてもらっていた人。一言で表すなら知性派。人気のある先生で、診察時間がいつも短かったのが難点。呼ばれて入ると既に処方箋を書き出しているくらいであった。
一人はその次の主治医。こちらはパッと見怖いと言っていた人もいた。でも話をするとこれまた知性派。この先生は薬を必要最低限にしか出したがらない人で、とある薬を終了するきっかけを作ってくれた人。それほど特別な薬ではなかったけれど「もう必要ないんじゃありませんか?」と言ってくれてそれ以来飲んでいない。
もう一人、この先生は関連病院へ入院したときに一回だけ診察してもらった。違う、もう一回、退院後数年してから一度だけ診てもらった。なんだ、喩えるならば奇抜な先生。まず出で立ちからして奇抜。あんまり詳しく書くと私の身元がばれそうだからここまで。
そして今回の主治医。人情派とでも言えようか。勿論知性もお持ちである。ただ、あまりそれをお出しにならないように見受けられる。遙か以前に看護婦さんが言っていた「医者らしくない医者」と。

この先生、色々とご苦労されている方。それを知ったのはここ1、2年。先生、無理しないでね。
それだけに患者の気持ちを理解してくれる。
多くの精神科医は「頭で理解」する。知識としての理解。今の主治医はそれプラス「ココロで理解」も示してくれる。まあ、幻覚を心で理解してくれるかは…。どちらにせよ、了解の幅は広いんじゃないのかな?。
これが患者にとってこの上なくありがたい。だからこそ「この先生以外はダメ」という患者さんがおられるんだろう。私もその一人になりそうだ。

主治医と話をして大分スッキリした。次の外来までにもう少し内省を深めようと思う。


センセ〜イ、もう少ししたら blog の URL をお知らせしま〜す。

イカン、軽躁傾向かもしれん。
# by donkeys-ear | 2009-05-25 22:51 | 心のヤミ

ブログタイトル

いちいち書かんでも良いのかも?と思いながら、ついついそうせずにはいられないので書きます。

この blog のタイトル「王様の耳はロバの耳なのか?」で始めました。
ところが、似たタイトルを付けている方が思いの外多いこと多いこと。
ということで、急遽「王様の耳はロバの耳なのか?(仮)」として、新たな blog の名前を考えております。
まあ、似たようなタイトルを使ってれば、間違ってこられた方をゲットできるかもしれませんけどね(笑)。
# by donkeys-ear | 2009-05-25 20:44 | はじめにお読みください

ニュース番組を見て

今日は頭痛がする。最近はあまりなかっただけにちょっと参る。自分のことを冷静かつ客観的に考えられそうもないので治療に結びつくことはお休み。悪いときに考えたって悪い結論しか出ないからね。

ということで、日頃感じたことなど書いてみようと思う。

今やテレビ(に限ったことではないが)のニュース番組は報道というより "News show" の色が強い。
質が高いものもある一方、そうでもないと感じざるを得ない番組もあるように思う。
日頃ニュース等に興味がない人でも取っつきやすい点はメリットといっても差し支えないのかも?。
ただ思うことはある。

本来ニュースってのは「事実を伝えること」なのでは?。
『いつ、どこで何が起こったか?』事実を簡潔明瞭に伝えるコト。どこかの CM ではないが「何も足さない、何も引かない」だ。
ところが最近のニュース番組はその王道からずれているものばかりに感じる。
別にそういう番組の存在を否定しているのではない。でも、もう少し原点に回帰する必要があるのではないか?。

平日の夜ともなると各局 News Show ばかり。某放送局もそんな影響を受けつつある。
自分のお気に入りの番組があればそれだけを見ていれば良いのだろう。しかしながら残念なことに現在は皆無だ。
それはなぜか?(なんか定番のフレーズになっているような気も…)。

先程書いた「色」そのものなんだと思う。コメンテーターがいて色々と意見訊くのがこの手の番組の常道。
私自身も以前はそういう番組を好んで見ていた部分はある。ところがある時期からそういうのを見ることに苦痛を感じ始めた。

コメンテーター。いわゆる有識者って人が多い。時には単に話題の人だったりニュースとは縁もゆかりもなさそうに感じる人もいる。色んな意見を耳にできるという意味では良いのだろう。
勿論意見も多種多様となるはずだ。同じ事実に対して肯定する人・否定する人がいる。これは当たり前。
しかしながら多くの場合、真に意見がぶつかっているかというと疑問。だいたいどちらかに収束する。
この迎合の傾向(シャレじゃないよ〜)が自分と一致していれば見ていてもそれほど苦痛を感じないんだろう。或いは本当にニュートラルな考えを持っている人、自分では特に意見を持っていない人にとっては「こういう考え方もあるんだなぁ」と聞くことができるのかもしれない。
ところが反しているとき。これは苦痛になりうるのだ。
それと「この人、本当に解って発言してるのか?」というケース。

どうもこの点が気になって仕方ないようだ。それで見ていて面白くないのだと思う。
自分の趣向に合わない場合、それは「あ〜、この番組はそうだよなぁ」と割り切れば見られないこともない。
確固たる自信に基づき意見する人。同意・不同意は別としてその人の考え方を聞くことは悪くない。自信なさそうな発言について。それは「そういう見方もあるんだなぁ」と思うときもある。こういう場合、強要を感じないから聞いていても「そうなのかも?」と聞くことはできる。
どうにもならないのは変に自信をちらつかせながらの意見。
「本当に解ってるのかね?アナタ」。「ご自分の意見なんですか?本当に?」といった場合である。
これはどうしようもない。苦痛を通り越し滑稽でさえある。

こういう番組。私はあっても良いとは思う。「とは思う」の理由。それは「この番組はこういった視点で作っています」と予め告知するのならば可ということ。
「この番組は右寄りです」とか「左寄りです」と謳ってくれればアリではないだろうか。賛成しかねる内容ならば見なければ良いだけだし。
「私どもの番組は常に中立・公平な視点で」などと言いながら偏っている報道が一番の問題。だって、嘘でしょ。それって。
それを本当に「中立・公平」だと信じて見た人は知らないうちに偏見の目差しに荷担しかねない。

いずれにしてもまともな報道が成り立ってこその位置づけには変わりないけど。
プラスアルファの部分ばかりクローズアップされては真実が隠れてしまう。

そうそう。「報道の自由」なんて言葉がある。使いようによって、実に都合が良い言葉。
自由とは責任と裏腹なのだ。だから責任を果たす心づもりがあってこそ可能なこと。
責任などそっちのけで好き勝手なことを言うのは自由ではなく私物化でしかない。
ちなみにこの blog は私物だと思って書いているから色んなコトを書いてる。

シンプルで良いのだ。事実を事実として伝えてくれさえすれば。変な虚飾は要らない。
そういう番組をもっと増やして欲しいと思っているのは私だけではないはずだ。

と、独断と偏見で書いてみちゃった。


ここまで読み返して「ちょっと?」と自分でも思ってしまった。以下の内容も追加しておこう。

自己矛盾しているなと思うけど、やっぱり書いておこうと思う。
そもそも人間である以上「公平・中立」を厳密に実行するのは無理だと思う。
どこかバイアスがかかってしまうのは仕方ないだろう。ただ、そこに意識を向けることは重要だと思う。「偏りがあるかも」と認めるのか「絶対にそんなことはない」と突っぱねるのか。
我々は神や仏ではなく人間だ。完璧などない(これも自己矛盾だなあ)。完璧がない以上、絶対に間違いはないと言えるのか?。私だったら言えない。
だから「公平・中立」を声高に叫ぶのではなく、それを「目指しているけど完全ではないですよ」的な番組を作ってもらえると良いのかもしれない。

あ〜、なんだかんだいって、また思考のループに入ってしまった。
# by donkeys-ear | 2009-05-25 00:29 | 雑感

異性との問題

今日はカウンセリングを受けるため外出。
インフルエンザの感染例が国内でも連日報告されていることもあり、マスクの着用率が高いのかと思いきや、そうでもないことに驚く。
売り切れ続出で増産体制を要請などとマスコミでは騒いでいるけれど、実際のところはどうなんだろうか?。どちらにせよ注意をした方が良いに決まっている。

カウンセリングについては昨日書いたので、今日は特に書かない。別のことを書こうと思う。

異性(女性)について。
カテゴリの通り私にとってはもの凄く大きな課題の一つである。

「初めにお読み下さい」でも書いたが、私は30代未婚の男である。
このご時世、男も女も晩婚化していると言われて久しい。
実際には晩婚化と早婚化の二極化なんだろうけど。適齢期と呼ばれる年齢よりも早く結婚する人も少なくないし、その時期を過ぎてから結婚する人も多い。というか過ぎてからまたはギリギリで結婚する人が今の世の中多いのではないだろうか。
結婚は人から言われてすることではない。当事者同士で決めれば良いことだ。周りがああだこうだ言ったって本人達にその気がなければ「馬の耳になんとか」だ。
まあ、こんな事を書くと対象の相手が居るように見えるけど、実際にはその相手さえ居ないというなんともお粗末な状況の私。女っ気が全くないのである。

断っておくが同性愛者ではない。異性愛者だ。それどころか好き者かもしれないと思うことすらある。他人と比較する事じゃないからなんとも言えんが。

ある程度の年を重ねれば異性(人により同性)に興味がない人なんてほぼ居ないだろう。
至って普通、健康なことだと思う。興味がないってのはそれなりに問題があるとしか思えない。
私はその点、普通である。興味はあるし人並みに付き合って結婚したいと思っている。
そう思っているのになぜ相手ができないのか?。
私に魅力を感じる女性が居ないというのはあるだろう。自分の外見をほとんど気にしないのだからある意味仕方ない。努力が足りないんだな。今後精進せねば。
ただ、それだけでもないと思っている。

というのはこんな私にも好意を持ってくれた女性がかつて居たからだ。正直驚いた。「また〜、冗談でしょ〜」と思ってしまうぐらい。でも冗談ではなかった。
ところがである。私はお断りした。それはなぜか?。

ケース1。相手を好きになれそうにない。
仲は良かったけど申し訳ないが異性としては見ていなかった。単に友達としてしか見られない人だった。それ以上を望まれても私には応えられないと思ったし応えたいとも思えなかった。
ケース2。私の友人と付き合っていた女性が別れた直後に私への思いを伝えてくれた時。
「友達を取るか彼女を取るか」である。実際にはその時点で別れていたので彼女という表現は適切ではない。が、私の意識の中では○○さんの彼女だった。まして○○さんからその女性との関係で日頃相談を受けていた。だから yes とは言えなかった。そして私が幸せにできるとも思えなかった。
ケース3。私自身もかなりなびいたが、相手に彼氏が居た時。
その女性。私のことが好きだと手紙をくれた。私はそれにこたえようと思った。だが私の中には「人のものを取ってはいけない」という強い理性が自然と働いてしまう。「そんなのカンケーネー」と思えれば良いのは解っている。だがそれができない。それを察したのだろう。相手から「彼氏を取る」と話をされた。

ケース1を除いて、今考えれば「何をやっとったんだ。俺は!」と思う。
その反面、全てのケースにおいて「本当なのか?」と言う疑念は最後まで消えなかった事も確かである。
要は「信じられない」のだ。私を好いてくれる女性がいるなんて…。それはステキな人であればあるこそそう思うのである。
なぜ信じられないのか。自分に自信がないのは今まで書いてきたこととの共通点である。

他の理由。これは改めて考えていきたい。今日はここまでとしよう。
# by donkeys-ear | 2009-05-23 23:48 | 課題

カウンセリング

カウンセリングについて書いてみようかな。

今のカウンセラーは3人目。
初めに受けたカウンセリング。あれ?、思い出してみたら入院中に何度か受けていた。となると現在4人目だ。

初めはとある病院へ入院(勿論精神科)しているときに院内のカウンセラーへかかったとき。
自分から「受けたい」と主治医に話をした。主治医はなかなか首を縦に振らない。
もともとこの入院はいつも通っている病院に入院することができなくなり関連病院を紹介してもらった経緯がある。外来主治医が「うちには入院できないよ」と言って探してくれた病院。
なので主治医と言っても代打。医療情報提供書の内容と入院期間中の私を知っているくらい。
まあ、入院の目的が「休養」だったこともあって、あまり受けて欲しくないような印象を受けた。
私はせっかくの機会なので受けさせて欲しいと懇願し、主治医も渋々承知してくれた。
カウンセリングの内容。今考えるととても形式的。多分それは主治医の意向によるものだったのだろう。
初めて受けた私は「こういう感じなんだ」と思ったものだが、振り返ってみるとあれでは意味がなかったと思う。

2カ所目で受けたカウンセリング。
これは職場で委託しているカウンセラーがおり、上司の薦めで受けることとなった。
正直あまり気乗りしなかった。というのは、先の入院中の主治医もそうであったが、長年診てもらっていたかつての外来主治医がカウンセリングを受けることに反対していたからだ。その医師曰く「効果がないと思う」と。
それはその時の病状から判断したのかもしれないし、自分の心に余裕がなかったこと、興味が先行していた事を見透かされていたのかもしれない。
何度お願いしても「紹介しない」の一点張り。なので諦めた。
そんなやりとりが記憶に残っていたので積極的に受けたいという感情はなかった。
通うには仕事を休む必要があったし。当時忙しかったのだ。

そのカウンセラー。かなり強気な発言をする人だった。
クライアントに合わせて対応しているのは想像に難くない。だから他のクライアントとのカウンセリングでは強気な発言など皆無なのかもしれない。想像でしかないけど。
私が受けた時はかなり厳しいこと(本当は治りたくないんじゃないの?とか)を言われた。数ヶ月通ったが、毎回「怒られている」としか感じられない。
率直にそれを伝えたこともある。「毎回怒られているように感じている」と。
カウンセラーの意見「それはアナタの日頃の対人関係が反映されている」とのこと。
投影だったり転移が働いているという事だと理解した。まあ、確かにそうなんだろう。
更にカウンセラー氏「褒めてもらおうとは思わないのですか?」とも。
「褒めてもらうために通っているつもりはない」と答えた。
実際褒めてもらいたくて通っているのではなく、病状を改善したいから通っているのである。
他にも過激な発言をいくつか聞いたけど、それは単に信頼度が落ちていくだけの事にしかならなかった。
最後まで尋ねなかったので全くの想像だが、私はカウンセラー自身、逆転移が働いていたと思っている。
それであのようなやりとりになったのではないだろうか?。まぁ、それをうまく利用すれば役に立つのも知っていたが、余計なことを言って叱責されるのも面白くないので言わなかった。

カウンセリングの影響なのかどうかは定かではない。体調を崩してしまい通うことにも疑問を感じていたためそこは通うのをやめた。カウンセラーの了承を得て。
ただ一点、このカウンセリングを受けていて良かったと感じたことがある。十分な時間をかけて話をすること。

多くの場合、外来診察時に精神療法と称して医師と話をする。世間には全くそこへ気を遣わない医師となるべくその時間をとろうと考えてくれる医師の2種類だと思う。
まあ意味もなくだらだら話しているだけではお互い時間の無駄であり、会話が少なくても適切な診察をする医師もいる。そういう医師にお世話になった事もある。でもこういう医師は極々稀ではないだろうか。患者さん仲間の話を聞いているとそう思うことがある。私の場合、比較的恵まれていたんだろう。
話をろくに聞かない医師のほとんどはひな形通りの質問をし、薬の処方をして「○日に来て下さい」で終わってしまう。俗に言う3分診療。精神療法の名が泣いているのである。
それで満足して帰る患者さんもいるのかもしれない。だが、大多数の患者さんは「もっと話を聞いてもらいたい」と思っているのではないだろうか。

昔の精神科治療は薬剤の安全性や種類の問題もあっただろうが、今日のような状況とは少し違ったと聞いたこともある。
薬の発達にともない処方の定型化もあるだろう。賛否両論の DSM もその一躍を担っているのかもしれない。
しかし薬はあくまで補助(病気にもよるが…)。それは今も昔も変わってないと思っている。
薬だけでは解決できないのである。その辺り、精神科医はもっと認識する必要があるのでは?。
症状だけ診て薬を出すなど医師でなくともちょっと詳しい人ならできるだろう。
それだけが目的なら薬剤師の方がずっと向いているように思う。法律上の問題を言っているわけではない。
精神科医は症状だけではなく患者の背景や心の問題を見つめ、そこにアドバイスするのが本来の役目ではないのか?。

あれ、今回も話がずれてしまった。元へ戻す。

つまりは今日、外来診療だけでは心の問題を解決するのは非常に難しい。
そこでカウンセリングを併用することにより多方面からのアプローチが可能になる。
その点を改めて感じさせてくれたのが2カ所目のカウンセラーだった。

3カ所目のカウンセラー。この方は物腰も柔らかく実に丁寧。穏健派の方。
研修などにも積極的に参加しているようで、非常に好感が持てる。
この方、クライアントを傷つけないことを強く意識しておられるように感じた。
局面により必ずしもクライアントの望んでいる意見ではなく嫌なことを言わざるを得ないケースだってあるはずだ。
ただ、そういった場面でも細心の注意を払い、なるべくクライアントが傷つかないように対応してくれる方だと思う。
実際こちらはなかなか予約が取りにくい。人気があるから。料金も良心的となれば尚更である。
本当はここへ通おうと思っていた。しかし予約が取りにくいことが災いし片手で余るほどしか通っていない。
いつかまた行ってみようとは思っている。

そして現在の4カ所目である。
このカウンセリングは当時の主治医から勧められて始まった。
このときの主治医、なんと関連病院へ入院していたときの主治医である。初めの方で書いた通り。巡り巡ってこういう状況になったのだった。
主治医曰く「入院していた時と比べると別人のようだ」とのこと。だからこそカウンセリングを勧めてくれたんだと思う。
紹介状を書いてもらい通い始めた。まだ2ヶ月くらいだが、ここも非常に良い印象を受ける。
いわゆるインテークの状態がまだ続いている。カウンセリングが有効か無効か見極めているのだろう。私は有効だと思っているが、カウンセラーが同意見とは限らないので続けられるか微妙なところに来ている。どうなるのかちょっと不安。

せっかくなのでカウンセリングではなく精神療法で思うことも書いちゃおう。
カウンセリングを勧めてくれた医師は退職することが決定し、今の主治医へ変更となった。
それは以前の投稿にもある通り。
今の主治医は精神分析療法を行っている方。はっきり言ってスゴイ。これぞ「精神科医」である。
変更直後、結構キツイことを言われた。ぶっきらぼうなところがあるのでストレートに言うのだ。
悪気はないのは解っているが、人によって「もう二度と受けない」と思うかもしれない。だから万人向けではないのかもしれない。
でもこれが重要なんだと最近感じている。二人目のカウンセラーでも同じ事が言える。

患者やクライアントが望んだ通りの話をする事が最善とは限らない。むしろそうでないことも少なくないのでは?。
受ける側の立場として「優しい声をかけて欲しい」と望むのは当たり前。だけどこれを延々と繰り返しているだけでは何も解決しない。表面的治療をしているのでしかない。
無意識に患者が遠ざけている部分、これが病気の原因だったり発病のきっかけになっていることが多いと思う。ここに触れなければ病状は多少の変化こそあるだろうが治る(緩解)など夢の話になってしまう。
外科に喩えるなら病巣部を切除するのか緩和療法(?)を行うのかの違いだろうか?。
なんか誤解を受けそうだから「根本治療」か「対処療法」の違いと言った方が良いのかも。
いずれにしても、この点で今の主治医は抜群である。

敢えて触れようとしてくれる医師・カウンセラーはあまりいないのではないだろうか?。
互いにエネルギーを消耗するし、人によってはひどくショックを受けるから。そこは見極める力を持っていないとできないんだろう。
通わなくなってしまったが二人目のカウンセラーもその点で優秀な方だと思う。
癖はあるけど実力も相当なものだと今になって思う。今更感謝している次第である。
# by donkeys-ear | 2009-05-22 22:55 | 課題