孤独

近頃また孤独を強く感じる。



 それだけではない。この世とおさらばしたい気持ちも強くなってきている。仕事も向いていないと感じる。やりがいを見出せる仕事であれば話は変わってくるのかもしれぬが、ワタクシの思うやりがいは現職では感じられない。むしろワタクシの特性・個性を喪失させる仕事である。仕事をしていて楽しいと感じたこともあるが、それは本当にレアなケースである。

 パロキセチンを減薬した影響もあるのかわからぬが、とにかく鬱っぽい。ここ数日は仕事を終えて帰って来たら真っ先に寝る。それでも本日は半日休んだ。明日(すでに本日であるが)は絶対に休めない。もっともワタクシが休んでも他の人が対応することは可能であろうが、事前準備をしたのはワタクシ1人だけである。誰かに依頼しようと思ったこともない。皆忙しいからである。付け加えると例年行っている立会いであるが、その引き継ぎはないも同然である。資料もワタクシが探し出し、適宜訂正・修正を加えた。今まではどのようにして行ってきたのだろうか。疑問が残る。あるいはそのようなものがなくてもどうにかなるのかもしれぬ。ワタクシは心配性であるため、何かしら資料がないと不安になってしまう。ルーティンワークであれば別であるが、初めての取り組みであるため、それも無理からぬこととも思う。

 それはそれとして、体調は良くない。だだ下がりである。本音を言えばしばらくお休みを頂戴したいところである。だが、そうも言っていられない。働く者にとり誰もが同じであろうと思う。

 景気がにわかに改善してきている。あまり実感はないかもしれぬが、冷静かつ客観的に見ると底は打ったのであろう。有効求人倍率も高くなってきているのはそれを裏付けていると言える。そこで転職サイトなどを見てみるのだが、ワタクシのような人間には良い口はない。まず定期的な通院が必要である。無理も利かないだろう。いや、楽しい仕事であれば多少は可能だとは思うが、皆隣の芝生は青く見えるものである。新しい仕事に就いてみたら、いわゆるブラック企業だったということだって考えられる。転職は数多くすれば良いというものではない。少なくとも日本では。生涯雇用がなくなったと言われて久しいが、それでも海外のように上昇志向で転職を繰り返す人は少なく、またその機会も他国と比べて少ないと思う。それが可能な人材はいわゆる勝ち組の人だけであって、多くの人は転職の度に失うものが大きくなっていくと思う。それが良いか悪いかは人其々の価値観である。

 仕事などそもそも楽しいものではないと言われてしまえばそうかもしれぬ。しかしやりがいを感じられないのはワタクシに取ってかなりの問題であることに代わりはない。ワタクシは1人や少数でコツコツとものを作ったり直すのが好きなタイプである。自分の手を動かすことが好きである。画面の前でああでもないこうでもないと思案するのは向かない。仕事に対するモチベーションを上げるため少々の工夫を凝らしてみたが、基本的には変わらない。

 仕事は一応一息ついたところではある。そして先日書いたようにワタクシは恋愛に向かない人間であることを再認識した。この二つのことより今回のうつ状態は悪化したことに間違いはないと思う。

 仕事が忙しい時には他のことを考えている余裕はなかった。あっても楽しいことを考えることができていた。まあ、忙しかったのでかなりカリカリした状況だったのも事実である。毎日の原動力は怒りもそれなりのウェイトを占めていた。ここへきて怒りは静まってきた。とほぼ同時に悲しみがやってきた。決して喜びには向かわなかった。喜びに結びつく確率は0.0001%もないことは承知していたが、いざそれが白日のもとに晒されるとここまで落ち込み体調が悪くなるとは情けないやら悲しいやらである。

 先日書いたことと相反するように思われるかもしれぬが、ここ数日はしいたいとも思うようになっている。ただし死ねないのもわかっている。ワタクシに希死念慮が現れる兆候の一つとして、死亡診断書という言葉が頭に思い浮かぶ。本来その診断書は本人が受け取るものではなく遺族が受け取るものである。この診断書を提出することによって、社会的にその人物が亡くなったことになる。ただし、財産云々も相続しなければならない。まあ、ワタクシに財産と呼べるものはないに等しいが、ほんの少々のいわば持ち物はある。それも社会的にはワタクシのものではなくなる。
であるから、死亡診断書を手にしたからといってメリットはない。が、生きることを諦めることにはつながるような気はする。
 若しくは蒸発するという手もあるのかもしれぬ。しかしそれもかなり難しいことだろう。何より薬の服用は続けなければならない。そのためには健康保険が必須と考えるが、身がバレる確率は飛躍的に上がる。
 知人が「10億円くらい落ちてないですかねえ」と口にする。10億円あれば楽して暮らせると思っているのかもしれぬ。しかしそれは生きるという希望や喜びがあるからそう思えるのであり、ワタクシのように最早生きる希望すらない人間にとってはあまり説得力のある話ではない。金があっても生きる目的がなければ死んだも同然と考える。

 いまのワタクシは生かされているという感覚に近い。自らの意思ではなく、神か仏か宇宙か知らぬが「お前は死んではいけない」と言われているような感覚である。ワタクシの希望はここでも通らない。不全感が増す一方である。自己効力感(肯定感)など増すことはない。

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by donkeys-ear | 2018-08-02 00:41 | 心のヤミ