恋は常に一方通行

庵主の人生とはそういうものであるとよく思う。



 ワタクシの恋は叶ったことがただの一度もない。最早そのようなものは恋とは呼べないのかもしれぬ。
さりとてワタクシにとってはそれしか経験がないのであるから、恋と呼ぶしかないのである。あるいは恋のようなものであろうか。
まあ、いろいろと考える機会があったのである。

 そもそも叶うはずのない恋である。前提条件がすでにおかしい。叶わないのならば端から恋をしなければ良いと言われればそれまでである。しかし落ちてしまったのだから仕方ない。以前カウンセラーにそのような恋はおかしいというようなご意見を頂戴したが、そんなに器用な人がどれほどいるのだろうかという疑問を抱く。まあ、反論しても平行線を辿るだけであろう。無駄である。

 ワタクシという人間は、己の幸せを実現するなど不可能なのではないだろうか?。いや、恋が叶うことだけが幸せではないが、恋に限らず幸せに対して疎いし実感がない。むしろ不幸、ついていない、報われないという思いばかりである。無論、それを望んでいるわけではない。が、精神分析的に考えると、反復強迫であり、自ら無意識にそれを求めているのかもしれぬ。

 ある人の話を聞いた時に思ったこと。他人のために生きるのも一つの人生。ワタクシはそのように生きるしかないのではないだろうか?。
決して格好の良いことを言おうとしているわけではない。ワタクシだって幸せになりたいと思うことはある。しかしなぜかなれないのである。なるための方法を知らないのである。比較的感じやすい幸せといえば、物を購入した時である。それはおそらく、子供の時に買ってもらったおもちゃで一人遊びをしている時の喜びの再現であろう。ワタクシにとっての幸せとはその程度のことかもしれないし、それ以上のことは未知の世界であり入るこむことのできない世界である。
 他人の喜びや幸せを己の幸せと感じられればまだマシかもしれない。しかしワタクシはそこまでできた人間ではない。その人の喜びや幸せであり、ワタクシにとっては一つの出来事でしかない。残念ながら己の幸せとは結びつかない。であるならば、開き直って我の幸せなどないのだ!と思い、他人の幸せのためにできることは可能な限りするが、それはワタクシには一切関係のないこと、その人のためのものでありワタクシは一つの出来事として淡々と生きていくしかないのではないのかと思うのである。無味乾燥な人生であるが、ワタクシにはそのように生きるしか術がないのである。

 自分でもかわいそうだと思う。かわいそうだと思うなら努力をしろと言われるかもしれぬ。しかし努力の方法がわからない。今まで多少なりともチャレンジしたと思うのだが、それでも効果はなかった。いや、努力が足りないのかもしれぬが、ワタクシにとってこれ以上努力をするより、今までの人生観で生きていくのを貫いた方が最早楽な歳になってしまったのではないだろうか。冒険するには遅すぎるのである。

 諦めなければ、チャレンジし続ければ歳など関係ないという方もいるかもしれぬ。しかし、何事にもタイムリミットというものはあると思う。ワタクシのタイムリミットは間近かもう過ぎてしまったのかもしれぬ。であるならば、自分でかわいそうや報われないと思いながらもその道を突き進むしかないのであろう。

 考えてみると、このような価値観を持った人と付き合いたいと思う人はいるだろうか?。友達としてはいるかもしれぬが、恋愛相手として望む人は恐らくいないだろう。つまりワタクシが己の幸せを願うこと自体無理があるということになる。

 先にも書いたある人の言葉。報われようと思ってはいけない。それはそうだとも思う。報われたいと思うのが人情であるが、世の中報われないことの方が多いのではないだろうか。ワタクシも全く報われなかったとは言わない。しかし常に報われない思いの方が強い。であるから初めから報われることを期待するのではなく、報われないものとして生きていくのが少なくともワタクシにとっては向いている人生観なのかもしれぬ。

 このような考え方、人生観の人間はごく少数派だろう。ワタクシは他人に薦めない。むしろやめた方が良いと進言するだろう。はっきり言って辛い。ワタクシも止められるなら止めたい。ごく普通の人生を生きたい。しかし、もう既にごく普通の人生ではないとも言える。精神科通院歴は20年になる。
いや、精神科に通院経験のある方、通院が長い方の人生を否定するものではない。これはワタクシ1人の話である。精神科に通院していても幸せな方はたくさんいらっしゃると思う。事実、見ていてほのぼのする方を何人も拝見したことがある。

 精神科通院歴があろうがなかろうがそれは関係のないことで、ワタクシのような価値観を持った人間はあまり幸せではないと思う。自覚のない人も多いかもしれぬ。自覚してしまうと辛いからである。もしくは辛いことを承知で引き受けている方もおられるだろう。

 少なくとも少数派だと思う。またワタクシは特に極端な人間かもしれぬ。だからこそ精神科に通院しているのだろう。ワタクシは自ら死ぬことは考えなくなった。時に死にたいと思うこともあるが、それは身勝手であると思うようになった。ワタクシが死ぬ前に何か他人のために貢献できることはないだろうか?と考えるようになった。たった1人でも良い。その人の幸せ願う、笑顔を見るだけで十分である。上に書いたことと矛盾しているかもしれぬが、時にはそう思ったり、思わせてくれる人もいるのである。いや、全く知らない方でも良いのだ。ワタクシが勝手にそのように思いこむことができれば。

 こんな考え方をしていては長生きできないだろう。そもそも望んでいない。幸せな人生など望めないのだから。自ら死ななくともそのうち自然に淘汰されると思っている。その時が早いか遅いかはわからない。しかし早く訪れて欲しいとは思う。人間など弱いものである。

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by donkeys-ear | 2018-07-31 01:38 | 心のヤミ