続くときは続く

昨日2件も投稿したのに、本日もまたblogにアクセスしているワタクシがいる。



 昨日ご紹介したドボルザーク(ドボルジャークともいう)のチェロ協奏曲、もちろんジャクリーヌ・デュ・プレの演奏であるが、このデュ・プレは若くして亡くなっている。
 詳しくは(どこまで正確かは定かでないもののWikipediaにも記事がある)ワタクシも知らなかったのだが、病気にて亡くなった。彼女のデヴューは早かったようである。Wikipediaによると1961年、16歳で早くも国際的チェリストとして名を馳せている。その10年後には指先に違和感を覚えていたようで、少しずつ症状は悪化。1973年には来日しているそうだが、体調不良により全公演をキャンセルし、その後演奏家を引退、指導する立場へステージを移す。その秋、多発性硬化症と診断され1975年エリザベス2世女王より勲章を受ける。その13年後、42歳という若さでこの世から旅立たれた。

 CDを買うにあたり調べていたところ、彼女の演奏について「命を削った演奏」などと書かれている方もおられた。であるので想像はついていたのであるが、演奏家としての年数が12年というのは本当に短いと思う。そして残念である。健康であればまだ存命でチェリストとして現役だったかもしれぬ。より多くの聴衆を魅了し、ファンを喜ばせたであろう。神とは時に酷いことをするものである。

 前回、同じ楽曲のCDを2枚持っているが、自然とデュ・プレの方を聴いていると書いた。もう1枚のCDもとても良くまとまっている演奏であり、シンプルである。それに比べ デュ・プレの演奏は情熱的であり華やか、そして悲哀も感じる。おそらくは20代の時の演奏だと思うが、歳を重ねて円熟した演奏を聴いてみたかったと思わされるほどに心へ染み入るものがあると思う。

 悲哀、ワタクシにとり大きく惹かれるところである。チャイコフスキーの交響曲第6番<悲愴>もそうであるが、ワタクシにとってそれは甘美的ですらある。悲愴の最終章、あの絶望的な演奏は何度聴いてもワタクシの人生を暗示しているように思えてならない。ジャクリーヌ・デュ・プレの演奏するチェロ協奏曲も似たものを感じる。近々エルガーのチェロ協奏曲も聴いてみたい。もちろんデュ・プレの演奏で。

 厭世観の強いワタクシは一般的に日本人に好きな方が多いと言われているモーツァルトの曲よりもこれらの曲の方が親和性が高い。モーツァルトは天才だったのであろうが、華やか過ぎてワタクシには合わない。それは花に例えるのなら向日葵のように誰からも愛される存在ではなく、道端に咲く踏まれても踏まれても強く咲く、雑草の花のような存在かもしれない。ゴッホの向日葵はまた違うように思うが。しかしそれは描き手の人生を見る者が無意識に絵に投影するからかもしれぬ。

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by donkeys-ear | 2018-06-13 00:23 | 心のヤミ