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去る者を追い来る者を拒む

そんな事を思った。




 本来このような言葉はない。しかしワタクシはそう思ってしまう事が多い。
人見知りが激しいため、ようやく仲良くなれたと思った人に限って別れが訪れる。その代わりに新しい人達がやってくる。振り出しへ戻るのである。であるから、ワタクシは出会いと別れのシーズンが大嫌いなのだ。

 それはワタクシが器用でない事も関係しているのかもしれない。また、自尊心の低い点も関係しているのだろう。いつまで経っても自信というモノが持てないのである。無条件に劣等感を持ってしまう。
 「世の中に自信を持っている人などそれほどいない」と思う方もおられるかもしれぬが、皆無に近い人もそれほどいないのではないだろうか。残念ながら、ワタクシは皆無に限りなく近い。いや、プライベートでは多少の自信を持つ事はある。さりとて日頃の生活での自信を補うには不足しているのである。

 ワタクシは冗談が通じない人間で、ノリも悪い。客観的には面白くない人間だと思う。例外はあるかもしれぬ。というのは、ごく稀に面白いと思って下さる方がいる。であるが、それはかなり打ち解けた間柄の場合である。多くの場合、その域まで達しないうちに会う機会が無くなるのだ。

 対人関係では緊張と劣等感が常に付きまとっているように思う。少なくとも今はそう思うのである。今後も思い続けるのかもしれぬ。

 転換期の訪れる日は来るのかもしれない。だが、現時点では自ら防御線を無意識に引いてしまうのだろう。であるならば、相手に警戒心や意思疎通する事への諦めを誘引しても不思議はないように思う。
 わかりやすい例を挙げれば、投げられたボールを受けとる事ができない。相手へボールを投げ返す事もできない。キャッチボールが成立しないのだ。その一方で相手の顔色は人並み以上に気にしてしまう。相手の心の動きを機敏に(「過剰に」の方がより正しいかもしれぬが)感じ取ってしまう。当然無意識にである。

 「人間を好きですか?」と尋ねられた事がある。ワタクシは嫌いなのかもしれぬ。嫌いと言いきる事ができぬのは、ワタクシは強い人間ではないからだ。一人で生きていけるなど今は思えない。かつては「一人で生きねばならぬのだ」と自身に言い聞かせていたが「無理である」と否応なしに気付いた。強さだけではない。ワタクシ一人でできる事など高がしれているのである。さらに寂しさも加わる。元々ワタクシのココロの根底には寂しさが常にあるのだと思う。
 できる事ならば人とのコミニュケーションで充足させるのがある意味正常な精神・心理なのだろうが、人との関わりにウィークポイントを抱えているワタクシは、モノに執着する事で代用している節がある。しかしモノはモノでしかない。いやしかし、モノは裏切らないとも言える。決してそう言いきる事はできぬのだが、不条理な裏切り方はしない。モノでも愛情を注げば応えてくれる。注ぐ事を怠ればしっぺ返しを食らう事もあるが、それはこちらの怠惰で起きた事であり、即ち責任は自分にあるのだ。これが対人間(生物)となると複雑である。責任の所在は不明確となる事も少なくないだろう。

 裏切られ体験がワタクシにあるのか定かではない。勿論ゼロではないが、大きな傷となった体験はないかもしれぬし、強大な抑圧が働いて思い出せないだけかもしれぬ。この場合、あったと考えるのがより真意に迫る事ができそうな気はする。

一つ言えるのは、やや不安定な精神状態なのだと思う。疲労(感)は増している。
by donkeys-ear | 2012-04-14 01:27 | 心のヤミ