人気ブログランキング | 話題のタグを見る

この時期

 要するにクリスマスである。ワタクシは海外へ行った事など一度もないが、日本人は何かにつけてイベントが好きなんだろう。悪い事ではないと思うが。



 クリスマスというと子供の頃はプレゼントである。しかし思春期を過ぎると好きな人と一緒に過ごしたい日の最右翼であろう。いや、そうとは限らないのかもしれぬが。
 今年は丁度3連休である。よって、恋人同士でどこかへ出かける人がいるかもしれぬ。遠距離恋愛の人にはこれ以上望ましいクリスマスはないのかもしれぬ。が、ワタクシには関係のない話でもある。

 なんとなく以前も同じ曲に触れた気がする。ただ、不思議とこの季節になると聴きたくなるというか、頭の中に思い浮かぶ。条件反射なのかもしれぬ。



クリスマスキャロルの頃には:稲垣潤一

 ワタクシはこの曲が好きである。なぜ好きなのかは良く解らぬ。
ファンというわけではないし、当時CDを買った記憶もない。ドラマのテーマ曲として使われていた記憶はあるが、それとて毎回見ていたわけでもなかったように思う。

 歌詞から想像するに、別れをテーマにしているのだろう。先ほども書いたが、クリスマスとは好きな人と過ごしたいと思うのが一般的である。まあ、結婚して子供が生まれればそんな事を言っていられないのかもしれぬが、結婚前にはこのようなロマンティック、悪く言えば(悪く言う必要もないのかもしれぬが)現実離れした二人だけの世界を満喫したいと思っても不思議はないどころか、当たり前の事だろう。甘美な一時である。

 しかし、この曲は対照的な歌詞である。この歌を聴いていると寒さが身に染みる思いがする。周囲が明の中、この二人は暗なのである。いや、この二人だけではないのかもしれぬが。
ギャップが極めて大きい。人はそこへ切なさや虚しさを感じるのかもしれぬ。また、自分(達)とこの歌詞の中の二人は違うという事で安心するのかもしれぬ。人により嘲笑的な面を刺激されるのかもしれぬ。まあ、勝手な想像であるが。

 ワタクシの場合簡単である。このような事は許されないとどこかで思っているのだろう。
まあ、なぜそう思っているのかを紐解くのは簡単な事ではない。女性が苦手な事も関係があるだろうし、浮世離れした世界が苦手という事もあるのかもしれぬ。
 冷静に考えてみれば、日本におけるクリスマスとは年間最大の集団的退行イベントではないかと思う。恋人、まだ恋人になっていない関係の人達も含め、互いを求め合いたいのは普通であるが、この時期は事実上世間から公認された(ような)期間である。

 退行できる人はこれで良い。また相手がいる人もこれで良い。ワタクシはそのどちらも難しいのである。同時になんて不可能といっても差し支えない。現時点では。従ってこの曲のように集団的退行イベントで退行できない二人に対し共感を覚えるのかもしれぬ。本当の共感とは異なっているのも気付いているのだが。

 現実問題として冷静に考えた場合、クリスマスを彼女とどう過ごすか?とプランを立てるのは、とても面倒な事だと思う。どこへ行っても恋人達ばかりだろうし。それはそれで恥ずかしい。人と同じでは面白くないし、かといって趣向を凝らしたプランを立てるのはエネルギーを必要とするだろう。ワタクシはそのような事を考えるのも向いていないように思う。凝ったプランを立てても相手が喜んでくれるとは限らない。マメな人はコツコツ調べたりするのだろう。ワタクシはそのエネルギーを他に使った方がよっぽど有効ではないかと考えてしまうところがある。まあ、それも現実として考えた事がないからかもしれぬ。端から見れば寂しい男なのかもしれぬが(寂しくないとも言わないが)、現状に強い不満があるわけでもない。ワタクシには縁のない世界だと思っているからである。と言いつつ、こんな事を書いているのは憧れみたいなものはどこかにあるのだろう。

 とまあ、色々書いてきたが、最近色々な事が面倒で仕方がない。何もしたくないのである。何でもかんでも体調のせいにするのは良くないが、意欲などほとんど消え去ってしまった。それより焦燥感から「あれをやらねば、これもやらねば」と思い込むことでクタクタになってしまい、結果何もできないと言う日が続いている。

 こういったときにこそblogを書くのは良いような気がする。客観的かつ冷静に自分の事を振り返り、今何ができるのか、何を先延ばししても良いのかを考える事ができるように思うからである。

 最後は曲と全然違う事を書いてしまった。まあ、ワタクシのblogはそんなものである。
by donkeys-ear | 2011-12-20 21:28 | 好きな楽曲