2011年 04月 26日
本日はクタクタ
そもそもは仕事に戻ってからは休みなどおいそれとは取れないので、1日で全てを終えるのが目的あり、そのために掛け持ち受診を続けてきたのである。これは各々の外来受診時間をうまく調整する事で可能となるのであるが、残念ながら難しい状況となっている。
精神科外来は問題がないのだが、もう一つの科が大問題である。予約時刻より1時間以上前に受付したにもかかわらず、呼ばれたのは予約時刻から3時間あまり経過していた。予約時刻通りに受付をしていたらと思うと本当に一日がかりである。という事で、次回からその科は土曜日とした。これならば仕事に戻ってからでも問題にならないはずである。反面、プライベートな時間は減少する。致し方ないだろう。社会人が通院するのは個人の時間を減らすより外方法は無い。
症状は精神的な問題もかなり関係していると思っており、現段階ではこれ以上改善すると思えない。投薬治療を受けていても。様子を見て間隔を延ばすなり、治療の中断も考えて良いだろうと思う。これといって効果を感じていないのだから当然と言えば当然である。
本日の精神科外来は特別な意味合いがあった。であるからして、絶対に時間を動かせなかったのである。よって、あらかじめもう一つの科でその旨を伝えたのであるが、終わったのはギリギリであった。
まあ、病院の事情も考えねばなるまい。患者さんの数が多ければやむを得ないのだろう。それよりも医師や看護師さんの労働環境が過酷ではないかと勝手に心配したりもする。待つ方も嫌だが待たせている方も結構苦痛を感じているのではないかと思うのだ。少なくとも看護師さん達を見ていると気の毒に思う。
さて、本日の精神科外来ではあまり話ができなかった。というのは同席者がいたからである。どんな存在が同席したのかはワタクシが以前から書いている事を踏まえれば自ずと解る事である。改めて書くのもなんとなく気が引けるため書かない。
という事で精神的な変化は先生に「詳しくはblogを見て頂ければ」と話した。冷静に振り返ってみれば、失礼な事を言ってしまったと思っている。が、ここ数日のこのblogを読めば少し危険な兆候である事を解って頂けると思ったからである。
来週の外来は多少時間的余裕もありそう(ワタクシの勝手な期待でしかないのだが)なので、それでも良いのかなあと思ってもいる。
先週から生活習慣を少し見直してみた。
ワタクシは夜入浴せず、毎朝シャワーを浴びる生活をここ数年続けてきた。この場合、出かける前にシャワーを浴びるのでその分早く起きなければならない。しかし朝というのは1分1秒で大きく変わってしまうのも良くある事である。よって先週から夜入浴して翌朝は食事等最低限の支度をすれば出かけられる態勢を試してみようと思い実践してみた。
この方が時間的な効率は良いように感じた。一日の終わりに風呂へ入れば疲れも多少取れる。睡眠の質も良くなるかもしれぬ。
ワタクシが朝シャワーを浴びる生活に切り替えた元々の理由は大きく分けて二つある。一つは朝弱いのでシャワーを浴びて目を覚ます効果を狙ったのである。入浴時間が遅くなってしまうので「もう寝てしまえ」という考え方も同時にあった。どちらにせよ、あまりプラスへは働かなかった。
そしてもう一つ、こちらの方がメインなのだが出かける前に身体を清潔にしたかった事である。これは自己臭恐怖対策でもある。
残念ながら自己臭恐怖を克服できたわけではない。今でも気になる。であるが、かつてほどではなくなってきているとも感じている。強迫観念が多少は薄らいだのかもしれない。或いは諦めの境地に向かっているのかもしれない。夏場になると発汗が増すのでどうなるか解らぬが、夜入浴する方が時間を効率的に使えるような気がしてきた。
他人から見れば「当たり前」と思うかもしれぬが、以前はそれだけ自己臭恐怖が強かったのである。
同様に醜形恐怖もある。これも薄らいできたように感じてる。ルックスが良かろうが悪かろうが根本的にどうにもならない。
美容整形という方法も世の中にはあるが、そこまでして自分の風貌を変えたいとは思っていない。ある意味変なプライドが働いているのだと思う。見た目だけ変えたところで中身が伴うとも言えない。
ただ「スタイルいいね」と言われた事は何度かあるので、それが多少補足しているのかもしれない。個人的にはただ痩せっこけているだけだと思っているのだが。筋肉が付いているわけでもないし。
この点について現時点での結論は、今あるワタクシという存在全てを受け入れる事こそが必要な姿勢なのだと思うようになったのだと思う。外見も中身も。
この想いは多少自分に自信が付いてきた事の裏返しだと思う。それとワタクシが他者を見た時、外見を重視してきたかも示しているのだと思う。同性に対してはそんな事をあまり考えた事はない(そもそも恋愛対象となり得ない)のだが、異性に対してはシビアな見方をしていたと思う。同時に綺麗な女性、可愛い女性が嫌いな男もごく少数だとは思うが。
欲を言えばワタクシもある程度着飾る事を覚えた方が良いのだろう。というのはあるところで耳にタコができるほど「もっと服装に気を使え」と言われるのである。しかしその点についてあまり興味がない。
自分自身に対し、冴えない男はどんな格好をしても冴えないのだと思っている。相手の方に不快感を与えるのであれば考え直さねばならぬが、そこまでひどい格好をしているつもりもない。以前も書いたと思うけど。
そういえば「彼女がいてもおかしくない」と数人から言われた事がある。真にひどい格好をしていれば、こんな言葉は出てこないだろう。まあ、お世辞と受けとらず鵜呑みにすればという注釈が付くのだが。これまた不思議な話であるのだが、過去ある女性から「センスいいですね」と感心された経験もある。ひょっとすると嫌みだったのかもしれぬが、そうは感じなかった。利害関係は当然の事として、恋愛関係に発展する余地もゼロであった。嫌みを言う合理的理由はないだろう。ただ、女性の心理は解らんからなあ。
まあ、センスなんてのは価値観が同じであればプラスに見えるし、異なればマイナスに見えるものだと思う。
自分の身なりをいくら繕っても薄っぺらい人間に見られそうで嫌なのである。たぶんこれが本音だろう。加えて醜形恐怖が根本にある。醜い人間がいくら着飾っても勘違いで残念な結果になるだけである。
この考え方は「全か無か」と「ラベリング」なのかもしれぬとも思ったりもしたりして…。投影も確実にあるなあ。これは。
価値観は人それぞれ異なるし、自分で不満がないのなら、それで十分ではないかと思うのだ。着飾るより中身を充実させた方がワタクシにとって重要度が高い。同時並行で充実させるのが最も良い方法なのかもしれぬが、ワタクシは器用ではない。たとえ異性から興味を持たれなかったとしても致し方ないと思っている。この先考え方が変わる可能性を否定はしない。
さて、話に脈絡がなくなった。思いつくままに書いているとこんな事になる。ごく自然な事。
まあ、なんだかんだ書いてきたが、今のワタクシを客観的に見ると、異性に対しての興味が出てきているのだと思う。でなければ服装云々なんて書かぬだろう。
これは先日お会いした方から受けた刺激であると思う。ただ、これがEsの欲求に基づくものなのか、ショックを受けた事に対しての反動なのか我ながら良く解らない。
結論として今も尚、引きずっているのだ。どう考えてもここに帰着する。それだけ魅力的な方だったのである。
そして少しヤケになりかけているのも自覚している。これも防衛規制の一端だろう。
厄介な男だな。ワタクシは。
by donkeys-ear
| 2011-04-26 00:26
| 心のヤミ