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致命的

本日は外来であった。




 掛け持ち受診だったこと、聞いた話に錯綜した面があったことなどから、院内で右往左往してしまった。ワタクシの確認不足も否めないし、どちらも無事に終わったのでこれはこれで了とした。関係者の方々には大変申し訳なく思う。病院も人員不足で大変のようだ。

 そのような背景があって冷静さを欠いた診察であった。勿論、ワタクシが。「何を話すのだったっけ?」と半パニック状態であったが、かえってそれが良い方へ転んだのかもしれぬ。というのは、今まで話すのを躊躇っていたことを先生へ伝えられたからである。

 話の前半は一週間の変化や出来事、そして時間管理が適切に行われているかが中心であった。この一週間で最大の収穫は、朝決まった時刻に起きる事ができるようになったことである。ただし、週の何日かは起きて食事を済ませた後にまた寝てしまう。この事も合わせて話したところ「デイケアへは毎日通った方が良いのでは?」とのご意見を賜った。ワタクシも全く同じ事を考えており、デイケアの担当看護師さんと話し合いの場を持つ予定になっていると伝えると、先生も「その方が良いよ」とのお話しであった。

 気が動転気味(超自我による統制がうまくいっていなかった:想定外の事象)のせいなのか、今まで口にすることができなかったけれどこのままでは何も変わらないと腹をくくることができたのか(どうにかしたいとどこかで望んでいるのだろう)、また違った理由があったのかは良く解らぬが、とある話をした。

 ワタクシはこの blog で何度も書いてきていると思うのだが、女性を過剰なまでに神格化してしまう。「全ての女性に対してそう思うのか?」と問われれば「そうでもない」のも事実である。なぜその人を好きになったのか掘り下げて考える余地は多々あるが、好きになればなるほど近寄ってはならぬ、触れてはならぬ、間違っても傷つけてはならぬ(これは当然か?)と思ってしまう。大切であればあるほど何もしてはならないのである。よって好意を抱いた相手に対し、何も行動することができない事の連続である。というより、行動してはならないのであろう。行動した結果、万が一にもうまく事が運んだ場合、相手の女性へ色々な意味で触れなければならないからである。反対に好意を向けられた場合は逃げてしまう。一応例外もある。
 そういえば、ある臨床心理士に「あなたが好きになる人は、絶対に付き合うことができないと解っている人を無意識に選んでいるのではないか?」と言われた事を想い出した。その時は受け入れ難かったが、冷静かつ客観的に考えてみると「そうなのかもしれぬ」と思う。今更であるが。

 しかし人間(というより生物)の本能として、間違いなく性的欲求がある。これは有って当然であり、無いのは大問題である。ワタクシも無いのでは無い。強弱については比較対象によって変化はあるだろうが、恐らく弱いのではないだろうか。うつ状態を引きずっている可能性もないではないが。
 多くの場合、彼氏・彼女や夫婦間、望ましいとは思わぬが婚外交渉や行きずりや割り切った関係を持つ人もいるようであるが、ともかくそれらによって互い(或いは一方的)の欲求を満たし、快の体験を得るのである。もしくは、擬似的に妄想や写真、動画を、またはそのような特殊なサービスを受けて、一人でも快楽を得るのである(ちょっと露骨か?)。

 問題はここからでワタクシの場合、上記のような行動をとっても快の体験にはならず、罪意識を感じてしまう事すらある。
それはおそらく強烈な抑制・抑圧や禁止がかかっているからである。言うまでもなく超自我による無意識行為である。

 このような話をしたところ、先生から「かなり根深い問題」と言われたのだった。
ワタクシはこの点について、だいぶ以前より自覚していた。ただし話せる人がいなかった。かなり前にも似たような事をこの blog へも書いたと思う。男として情けないと過去何度書いただろうか。それはワタクシがどこの誰だか解らないから書くことができたのであって、特定される環境での発言や書き込みはできなかったのである。
 主治医は何度か変更されてきたが、今の今まで口にしたことはなかった。逆にいえば、それだけ現主治医に信頼を寄せているし、話せるような環境も整ったのだと思う。或いは何を話せば良いのか解らない内、どさくさに紛れて話をしたのかもしれぬ。その裏には危機意識を常に感じていたこともあるだろう。
 振り返ってみると、醜形恐怖、自己臭恐怖があることを口にできたのも現主治医が初めてである。やはり信頼関係も大きいのだろう。
 前主治医は女性であったが、ロールシャッハテストの結果から「抑さんにとって女性は『災いをもたらす存在』と思っているようですね」と指摘され「生物本来の欲求に従って生きた方が良いですよ」と何度か言われた。が、こんな事を主治医とはいえ女性の前で言えるはずがないではないか。ワタクシは羞恥心も異常に強いのである。

 さて、本題へ戻り「これじゃあ一生独身ですよねえ?」と冗談気味に言ったところ、先生は否定も肯定もしなかった。これがリアリスティックであり「ああ、やっぱりワタクシは生涯独身を通すより外ないのだなあ」と悟った。今までは主観論で済んだのだが、客観的裏付けがなされたのと同義であると感じたのだ。まあ、このまま何もしなければとの注もつけられるとも思う。楽観的に考えれば。

 (ひょっとすると)先生はここまで深刻だと思っておられなかったのかもしれぬ。というのも途中からお顔の表情が変わったからである。残念ですが先生、結構重症だと改めて思いました
いや、致命的がより適切かもしれぬ。恋愛や結婚を望むのであれば。

 まあ、これも以前書いたと思うのだが、ワタクシはある年齢まで恋とか愛というのは無縁だと思っていた。そう考えることでしか自らの精神バランスを保てなかったのだと思う。勿論これは明らかに間違いで、バランスを保つどころか偏りっぱなしである。しかし、主観的にはそう思い込む事によってのみ現実へ対応するしかできなかったのだと思う。どちらかといえば、ワタクシの周囲は女性が少ない環境が多かった。居たとしても性的対象として見ることを受け入れられなかったのだろう。
 具体的にどのように考えていたのかであるが、誤解を恐れずに現すなら、愛だの恋だのは低俗だと思っていたのである。いや、思おうとしていたのだ。これが大きな間違いと気付くまでに時間を要した。
 もう一点、過去(生まれてからこれら問題を自覚するまでの期間)女性との間で嫌な経験(恐らくもの凄く恥ずかしいと感じた事ではないかと想像する)があった可能性も否定できない。だからこそ羞恥心が人一倍強いのだとワタクシは解釈している。

 先生は時間をかけて少しずつ変えていくしかないと仰っていた。ワタクシもそう思う。
努力しなければ何も変わらない。努力したからと言って必ずしも実るとは限らぬが、するとしないでは大きな差があるはずだ。要するに諦めたら終わりと言うことである。
ただ、もう若いとは言えなくなってきている。これも大きな問題である。かなり頑張らないとタイムリミットが先に訪れそうである。頑張ると言うより、意識の変化とでも言うべきか。

 恥っさらしは承知の上で書いた。しかし事実は事実として受け入れなければならない。深刻な問題であれば尚のことである。受け入れなければ先へは進めないのである。そして受け入れることはできてきたのだと思っている。まあ、似たような事は以前も書いているし。

 今後どう変化をさせるのか。そのためにはどのような方法があるのか。端から見れば「ただそれだけ」であるが、欠落や間違った思い込みをしているワタクシにとって、至難の業である。
by donkeys-ear | 2011-02-21 23:13 | 心のヤミ