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昨日の続きではないが

本日、ふと思った事がある。




 昨日の飲み会で友人から「抑くんも髪型を変えたり、車を乗り換えたりしてみれば人生変わるかもしれないよ?」と言われた。
これは今までの行動様式を変える事で人生観も変わるかもしれぬとの助言である。で、言われなくとも解っているのである。問題は「そこまでして変える必要性はあるのか?」である。

 仕事に対して。これは明らかに変化を与える必要がある。休職前と同じ行動をしていたら、また体調を崩してしまう可能性が高いからである。今回の休職で考え方は少しずつ変化してきている。他人から見れば全然変わっていないように思うかもしれぬが、ワタクシの中では大きな変化である。具体的には過剰適応をしない事、平たく言えばワガママになる事である。もっとも主治医曰く「抑さんがワガママと言っても、(周囲の目には)全然ワガママとは映らないだろう」とのことであった。
 そう、ワガママと言っても好き勝ってし放題、無責任な人間になるのではない。
余裕がなければ断る。一人で抱え込もうとしない。完璧を求めない。理不尽な要求には説明を求める。冷静に考えれば当たり前の事である。この当たり前の事ができなかったのである。

 さて、プライベート面について。これはワタクシにとって心地良いことを選ぶのみである。
この面で先ほど書いた「そこまでして変える必要性はあるのか?」が問われる。
 友人はワタクシに女っ気が全く感じられないため心配して助言してくれたのだと思うが、そこまでして彼女を作らねばならぬのか自分でも良く解らない。
 これも何度も書いている気がするが、外見だけ繕っても中身が伴っていなければ薄っぺらい人間になるだけ。であるから、無理して(外見上)格好つける必要は全くないと思っている。格好をつけようがつけまいが自分らしく生きる事が重要だと思うのである。いや、自分らしく生きる事こそ最高に格好良いと思っているのかもしれない。
 そのうち「オシャレでもしてみるか?」と思えば、それからでも遅くはない。
大方無理をすると直ぐにぼろが出る。興味が出てきたらそれらも楽しくできるようになるであろう。楽しくない事をプライベートで続ける意義に疑問を感じるし、そもそも続かないと思う。現時点で外見について考える事は楽しさより苦痛を感じるのである。

 そもそもにおいて、生まれながらに持ったものは変えようがない。整形でもすれば変わるが、完全に悪循環へ陥る。(美容)整形手術とは醜形恐怖を持った人間にとってタブーである。そこまでしたいと思っていない事もあるのだが。男で良かったとも思う瞬間である。女性として生まれてきていたらば、もっと深刻な状況だっただろうと思う。

 まあ、(ワタクシの服装が)周囲に不快感を与えているのであれば考えを改める必要はあろうかと思う。しかし、そんなにみすぼらしい格好をしているとも思っていない。他人はどう見ているのか知らぬが。と言う事は、ある程度醜形恐怖から脱しているのかもしれぬ。

 少し話は異なるかもしれぬが、友人達と話をしていた上で、勝ち組理論はまだ優勢のようだと感じた。ワタクシなど初めから勝つつもりなど無い。勝った・負けただけが人生ではないだろう。
「勝った事であなたは幸せですか?」と問うてみたい。私利私欲に走ったり姑息な事をしてまで勝つくらいなら、正々堂々と負ける方がこざっぱりとしていて良いとワタクシは思うのだが。負けを認めない事が一番格好悪く、情けないと思う。まあ、こんな価値観を持っている人も少数派なのかもしれぬ。

 あともう一つ思った事。恋愛観について。
おそらく、ワタクシの内にある恋愛ってのは実ってはならないのだと思う。変な話だが。
 世の中には二つのタイプが存在するという。一つは愛されたいタイプ。もう一つは愛したいタイプ。
 理想は愛し愛される事なんだろうと思うが、ベースには愛されたい欲求がより強い人と愛したい欲求がより強い人の二つしかないのだと思う。このバランスが取れている者同士が出会った時か、出会ってからお互いにバランスが均衡していった人々が、愛し愛される関係に発展するのだと思う。
で、ワタクシはそれをどこかで恐れているのかもしれぬ。俗世間に対し冷酷視しているのはこの辺りにも関係している可能性がある。

 数少ない経験から言って、好意を寄せられると興味が無くなってしまう。サンプル数が極めて少ないため結論を出すのは間違い、大きな勘違いかもしれない。さらに偏りがある。
 ワタクシができれば避けたいなあと思っている人からそう思われる事が多かったからである。少ない中でもこの人は良いなあと思った時もあった。ところがここぞという時にしくじるのである。まあ、以前も書いたけど。
 それは置いといて、ワタクシが好きと想える人を見付け、その人に想いを馳せる方が満足度は高い気がする。当然、一方的に想い巡らすだけなので叶う事はない。いや、必ずしも叶わないとは言えないのだが、基本的には叶わない(叶えない)のである。ここぞという時にしくじるのは叶えてはならないとの思いが働いているとも考えられる。

 買い物へ例えると(非難を浴びそうだが)、買うまでが楽しいのに近いのかもしれない。
物と人の違いは感情と発言の有無だと思う(さらに非難を浴びそうである)。
 ワタクシは根本として人間関係が苦手である。当然恋愛にも関わってくるだろう。今のワタクシは一人で居る事を好む傾向がある。極論すると面倒な事、自分のやりたくない事はイヤなのである。人間関係(恋愛を含む)とはそういった場面も少なくない。振り回されたくないとどこかで思っているのかもしれぬ。それは想定外にもつながっていると思う。
 以前は一人で居る事が非常に寂しかった。であるから彼女が欲しい気持ちや結婚願望も強かった。ところが今はそんな風に思わないのである。成長したのか退化したのか良く解らない。まあプロセスの途中だと思っている。今は独り身を楽しんでいる(とも言えない)が、そのうちに彼女が欲しいと思う可能性は高いだろうと思っている。ただ、欲しいと思ったからといって実際に作る(可能)かどうかはまた別でもあるのだが。
 
 とはいえ、全く興味が無いとも限らない。素敵な女性を見れば「良いなあ」と思う。一時期に比べ、そう思う機会が増えたように感じている。
 今はお付き合いするのは面倒と思っていても、寝ても覚めてもその人の事で頭がいっぱいという局面になれば、やっぱりお付き合いしたいと思うのだろう。実行できるかどうかはその次の問題となる。
 想いを告げられるのか?、告げられた相手は受け入れてくれるのか?など色々ある。
告げる事も勇気が要る。振られてしまったら傷付くからである。傷付きたくない自分もいるのかもしれぬ。いや、絶対に傷付きたくないだろう。傷付くくらいなら密かに想いを寄せるだけで満足しているのかもしれない。満足しているとも思えないのだが。
 傷付くと一言で表しても色々と考えられる。羞恥心、自尊心、自己嫌悪、劣等感などなど。いずれにせよ、情けない話である。でも、これを掘り下げる価値は充分にあると思う。

 単なる強がりなのかもしれぬが、恋愛が実ってはならないとの想いは必ずあるように思う。それは母に対する罪悪感や自信の欠如によるものなのかもしれぬ。要は自分でも良く解らないのである。
by donkeys-ear | 2010-12-16 01:26 | 心のヤミ