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不思議なもので

昨夜、診察予約時間に「間に合わないかも」と言い訳を書いたのだが、間に合った。




 まあ、言い訳はやっぱり良くない。ワタクシは言い訳するのはあまり快く思わない。自分自身に対してである。

 結果として間に合ったので言い訳ではなくなったのかもしれぬ。が、言い訳めいているのも事実である。情けないなあと我ながら思う。でも、本当に間に合わないかもしれないと感じていたのだ。

 ここのところ、ちょっと行動すると翌日の朝起きられないと言うパターンが続いている。現に日曜日の朝起きられなかったのである。ワタクシは土日どちらか一方はゆっくり過ごすのを心がけていた。まあ、これも自分で勝手に定めたパターンである。

 日曜日、知り合いに急遽誘われてとある集まりに参加した。午前中はとても起きられる状態ではなかったので参加できる自信はなかった。でも、約束した以上、守るのが人の道だと思う。この辺りが自責感につながっているんだろうとも思うが。
 その日曜日。午後からノコノコ出かけた。まあ、元々時間が遅めだったのである。で、とても楽しい時間を過ごせた。楽しい時間というのは押し並べてあっという間に過ぎるもので、気付いたらかなり遅い時間であった。「あれ、ビックリ!」である。

 急いで帰宅し薬を服用。寝る直前に言い訳を書いて寝たのである。内心「明日、起きられなかったらどうしよう?」との思いはあった。ところが起きられたのである。これが不思議でたまらない。

 やはりココロのパワーが増大してきているのか、どこか強迫観念があって起きたのかは不明である。ともかく、起床して食事を済ませシャワーを浴びて病院へ向かったところ、丁度良い時間に到着したのである。

 外来ではここ数日に起こったことなどを報告した。あ、そういえば職場へ行ったことを伝えそびれてしまったが、次回でも良いだろう。この辺り、以前だったらこんな風に思えなかったと思う。「何故話しをできなかったのだ!」と思っていたに違いない。そこはテキトーになってきた事を裏付けていると思う。勿論、悪い意味で言っているわけではない。
 伝えそびれた理由は単純で、他にもっと大きな出来事が複数あったからである。それをお話しした。先生も「そうなんだろうねえ」と認めてくれた。この認めてくれることが重要なんだろうと思う。なぜならば認められた経験がワタクシの人生において少ないからである。子供の頃から否定されて育ってきたのだから、認められた事があまりないのである。ゼロではないが。

 ワタクシが以前勤務していた会社の上司は割と褒めてくれる方であった。それがワタクシにとってどこか恥ずかしく思ったり、できて当たり前(=褒められるに値しない)と感じたりもした。簡単に言えば素直に受け取ることができなかった。しかしここへきて少しずつ変わってきているようである。素直に受け取っているのかはまだ微妙だが、かつて自己否定していたのをあまりしなくなってきているように思う。
しかし、今冷静に考えてみると、人がせっかく褒めてくれているのに自分で否定するってのもおかしな話しである。が、それがワタクシにとって自然な態度であったのだ。

 外来終了後、先月もお会いした知人と会って話をした。お互いどこか通じるものがあって、特に難しい話しをするわけでもないのだが、不思議と「そうなんですよねえ」なんて共感できたりする。その方も色々あって大変なようである。なんともないと良いのだが。
 しばしその方と話しをした後、デイケアへ参加した。と言ってもその場で過ごすだけなのは言うまでもない。

 例によって気の合う(と思う)方々とお話をして過ごす。それだけである。それで良いとワタクシは思っている。
あ〜、もう寝ないと。
by donkeys-ear | 2010-08-02 23:58 | 心のヤミ