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高校時代

高校時代の恩師と再会した。と言っても夢の中である。




 「今までこんな夢見たことあったかなあ?」と振り返っても記憶にない。見たことはあっても記憶にないだけかもしれない。

 高校を卒業してから一度だけ会った。リアルにである。母校訪問みたいなものがあってその時再会したのだが、たしかその時にはクラス担任はされていなかったように思う。

 夢はどうやら卒業間際、もう勉強も終わっていろんな話しをしている時間に感じられた。尤も、その先生はワタクシが1年生の時の担任で、2年生へ進級と同時にクラス替えがあり、ワタクシのクラスで教鞭を執られた事もなかったように記憶している。接点は激減してしまった。職員室で会う程度だったように思う。職員室には良く顔を出したのも事実であるが。ともかく、現実に夢で見た様な時間を過ごしたはずもない。

 ワタクシは正直、手を焼く生徒の一人だった。というのは、ほぼ毎日遅刻していたし、休みも多かったのである。中学時代からそれは始まったのだが、高校へ入ってからも変わらず、むしろ酷くなっていったかもしれない。半登校拒否(じゃなくて半不登校か)状態。
 今考えると、遅れたり休んだりしたのは時間管理のルーズさだけでなく、とにかく外へ出たくなかったのかもしれない。外的刺激を受けたくなかったのだろう。
 体調が悪かったのも事実である。ある日高校の保健室へ呼ばれた。体調云々ではなく頼まれ事があったのだ。そのとき「血圧測ってあげようか?」と言われお願いしたことがある。ひょっとすると顔色が悪かったのだろうか?。そしたら「抑くん、よく学校に来られたわね〜。こんなに低いなんて!、さっき測った女の子の方がもっと高かったわよお」と言われた。その時、どうやらワタクシは低血圧らしいと解ったのだ。確かに小さい頃から朝が弱かった。今でもその傾向は残っている。たまに「塩分たっぷり摂った方が良いのかも?」と真剣に思う。
 或いは単に勉強するのが嫌だったのかもしれない。中学生ともなれば受験が視野に入る。それまでの義務教育期間は私立にでも入ろうとしない限り、考えなくて良い事である。高校は義務教育でこそ無いが、進学率は極めて高いし就職を考えてもせめて高校は卒業した方が良いだろうと考えるのが幸か不幸か自然だろう。家業があるわけでもないし。歴代の職人家庭に生まれていれば違ったのかもしれぬ。
 受験があるからだけでこの様な状況へ至ったのでは無いとも理解している。原因は未だにハッキリとは解らぬが何かから逃げたかったのだと思う。逃避。それしかないだろう。中学時代は今でも思い出したくない、最も負の時代である。

 ともかく、休みがち・遅刻ばかりの生徒だった。高校1年生の時など進学できるか微妙になるほど、つまり出席日数が足りなくなる可能性が出る始末で、教科の先生によっては「あと何回休んだらアウトだぞ」とカウントダウンされたり「今日はギリギリカウント外(つまり間に合った)だぞ」と言われたほどである。まあ、その点はなんとかクリアした。或いは先生がなんとかしてくれたのかもしれぬ。それについては解らないが、そう思うほどに感謝しているのは間違いない。

 中学と高校時代を比較すると、休み・遅刻はどちらも多かった。先ほど書いたとおり、高校時代の方が一時期酷かったように思う。が、充実度で言えば遙かに高校時代の方が高かった。それが影響したのだろう。次第に遅刻・欠席の傾向は薄らいでいった。3年生の時、さすがに無遅刻・無欠席は無理であったが、その状況にかなり近いところまで改善したのも事実である。

 勉強も楽しく感じた。何を覚え、何を理解すれば良いのか解らないと言うことはなかった。おかげで成績も良い方だった。友人関係も変に意識することから解放された。自分を売り込むような姿勢を感じた仲間がいなかったからである。
 中学時代は内申点稼ぎやいかにも自分が優れているかのような人たちも居た。と言うより、ワタクシが卒業した中学は多くの人にそのような姿勢を感じたものだ。当然、全員そうだったとは感じていない。しかし全般的にそれら傾向が強い学校、学年だったと思う。中には自分の身内がいかに高学歴かを口にしていた輩もいるがそれって結局は劣等感をカバーしていたのかもしれない。
 それら人間は高い評価を与えられた。まあ、勉強ができるのだから当たり前である。が、ワタクシはそんなに躍起になるのもどうかと冷めて見ていた。既にこの時点でワタクシは冷めた人間であったのは確実だろう。
 頑張って見返してやろうなど全く思わなかったし、そんな人生はつまらないとも感じていた。いくら勉強ができていい高校、いい大学、いい会社に入ろうとも、それが楽しくて幸せな人生になるとは思えなかった。まあ、今でも何が楽しくて幸せな人生なのか理解できていない。死ぬ間際に解るのかもしれない。また反れたが、いい学校を出ていい会社に入ったからと言って本人が幸せなのかは大疑問であるし、いい大学を出たばかりにかえって手枷足枷となって就職すらできない人もいると聞く。その様なところを出ればプライドも自然と高くなる。いい学校を卒業し、俗にいい会社へ勤めても、会社そのものが無くなってしまったとか、リストラで首を切られたなんて話しもゼロではない。加えて、これは現職場でハッキリと解ったことだが、いくら学歴が高くとも、いい大学を卒業していても、仕事ができる事とは別。言っては悪いが国内最高峰の某国立大学を出た方だってワケの解らぬ、何一つ解決せず、それどころか滅茶苦茶にしておきながら幕引きした誰かさんが生まれた時代である。

 話しを元に戻す。高校の先生達はワタクシの出席日数に気を配ってくれたし、また教師と生徒の垣根を越えた年齢差のある友人のような関係であった。まあ、キッチリ線引きはあったが、単なる先生と生徒という関係ではなかったと思う。これはワタクシが卒業した高校で一様にみられた姿勢や感覚であり、教師達も皆それを認めていた。
 中には日教組かぶれの教師もいたが、教師同士の軋轢はワタクシには解らない。それはそれとして、アットホームな学校であった事に違いはない。教師のエゴむき出しで教育するのも良くないとは思うけれど。軽くいなせば良いのである。歴史認識は人それぞれ異なるし、何が正しいのか自然と考えるようになると思う。押しつけが良くないのである。

 今朝(昨晩?)の夢に出てきた元担任の先生は、日教組など全く眼中にない人だと思う。人として好感を抱く人である。飾らない先生とも言える。
 目覚めたとき「あつお〜、元気でやってるかぁ〜?」とた耳元で言われたように感じた。声の大きな先生なので囁かれたという表現は似合わない。でも、気にかけてくれてるのかなあと感じるには充分であった。

 先生、ワタクシは恥ずかしながら未だ半人前です。我ながら困ったものです。まともな生活ができているとは決して思いませんが、色々ありながらもなんとか生きています。先生が今でもお元気だとワタクシは信じております。
 まさか最後のお別れにこられたわけではないですよね?。そうあって欲しくないです。また会ってお話ししたいです。

少し気がかりな目覚めであった。先生の無事を祈る。
by donkeys-ear | 2010-07-14 10:48 | 心のヤミ