何事も思った通りに進むとは限らない

当たり前の話しである。




 本日デイケアへ参加した後、またフラフラと買い物へ出かけた。
以前書いたと思うのだが、自分でやるしかない事が山のようにあるのである。それを一つでも実現するためにはそれなりの出費が伴う。金銭的に苦しいのは変わっていないので当然最低限に抑えるべきではあるが、必要と判断したならば仕方がないことなのである。と言うことで、その品の買い出しに行ってきたのであった。

 割引券をもらったので遠路はるばる(ってほどでもないが)行ってきた。交通費を考えるとトータルでは五分五分、もしくは少し安く済むはずであった。ところが、在庫が無いではないか。せっかくここまで来たのに…。ここでむざむざと帰るのは面白くないのでダメで元々店員さんに話しをしたところ、取り寄せ可能との事であった。当然、割引券有効期限内に購入が可能なことを確認し、取り寄せを依頼をした。
 二度手間になってしまったのは事実であるが、考えるだけではなく行動できたので良しとしよう。考え方を変えれば、外出する機会が増えた事にもなる。他に必要な品も購入できたし(これってポジティブ思考か?)。

 せっかくなので他にも寄り道をした。
買う・買わないは別として、ワタクシのストレス発散法の一つに入れられるだろう。本当はもう一カ所寄りたいところがあったのだが、無理は禁物と判断し帰ってきた。さすがに疲れたのである。

 数日前までは何もかもがトントン拍子に進むように感じ「とうとう運が回ってきたのか?」などと過ごしていたのが、そう長くは続かないのであった。

 辛いときに一筋の光明が射すからこそ、大変に価値ある事なのである。
いつ何時も光明だらけであれば、何が幸せで何が不幸か解らなくなってしまうだろう。もし麻痺してしまったら人生はある意味で終わりであり、面白くもないだろう。刺激がないのは最もつまらないことだと思う。

 やはりワタクシは楽観主義になれそうもない。そんな思いがこの文章にも表れているのかもしれぬ。

 ますます悟りの境地に近付いたように思う今日この頃である。同時に困ったものでもある。なぜならば悟る必要は恐らくないのだ。少なくとも今のワタクシには。それよりその日・その時を如何に楽しむかこそが求められているのだと思う。結果ではなく過程を重視。世の中にムダなことなど無いのだろうとも思う。ムダの定義は人各々異なるだろうが。

 こんな事を書き出すと危険な方向へ進みだす兆候かもしれない。現状で哲学は禁忌に値するものであろう。
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by donkeys-ear | 2010-06-24 00:08 | 心のヤミ