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極めて珍しい

偶然なのか必然なのか。良く解らないが本日は珍しい日であった。




今の世の中、携帯電話は必須アイテムだろう。
個人的には持っている意義を感じる時をあまり感じない。連絡などほとんどしないし、受けることもほとんど無いのだ。仕事をしていれば話しは変わるのだが…。

とはいえ、いざって時に役立つのも事実。であるから今でも所有している。「なければない」で清々するのかもしれぬ。

それなのに、本日はメールが来たし電話も来た。「アホな事言いなさんな」と言われればそれまで。
携帯電話を持っていればごく当たり前のことではあるが、日頃使っていないワタクシには珍しいのである。しかも全て別件である。

学生時代から続く友人から数年ぶりの電話。あれ、去年も電話がかかってきたかな?。
昨年末に会って以来ご無沙汰の仲間からメール。
「時間作って会おう」との内容である。

わざわざ連絡してくれる、しかも「会おう」と連絡してくれると言うことは、客観的にワタクシという人間を認知してくれている人がいるのだなあと思った。
なんとなく忘れ去られてる感じを持っていた。ところがそんなことはないようだ。自分の存在をある意味感じた。

これは逆から見ると忘れ去られたい願望が未だにあるのかもしれぬ。
うつ症状が酷かったとき、自殺念慮・希死念慮を持っていた。珍しいことではない。ある日当時の主治医に「ワタクシは生まれてこなかったものとして、今まで関わってくれた人全ての記憶から消し去って欲しい」と言ったことがある。
その時「抑くんがいなかった事にするなんてできないよ。他人の記憶から消すなんてできないから」と言われたのだった。もっともである。

今でもたまに「死亡診断書が欲しい」と思う時がある。勿論、自分の死亡診断書である。
まあ、書いてもらったからと言って生身のワタクシが居なくなるわけでもなく、書類上として存在が消えるだけなのだが、なぜか欲しいと思うときがあるのだ。これは蒸発願望なのか?。

さておき、他人から見てつまらなかったり些細で身近なことでも、幸せを感じられれば人生は楽しく過ごせるのかもしれない。

1回きりの人生。楽しんで生きた方が良いに決まっている。楽しまないのは損である。
しかし楽しめないのも事実である。
頭では解っているのだが、ココロではそう思えないのである。
by donkeys-ear | 2010-04-06 00:27 | 心のヤミ