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たばこは止められそうもない

本日はたばこを買いに出かけた。出かけた理由はそれだけである。




吸い始めた頃「たばこなんて簡単に止められる」と思っていた。
しかし今になってはどうやら無理である。もっとも止めるつもりなど全くないのだが、経済的なことを考えると止めた方が望ましい。健康は二の次である。

本数はだいぶ減ってきたように思う。
1日1箱から5日で3箱くらいにまで減ったように思う。その理由は単純で、起きている時間が短いからである。

ワタクシの場合、たばこを吸うことが習慣となっている。
食後には必ず吸うし、それ以外でも手持ち無沙汰を感じたときに吸う。あとは気分を変えたいときや、何かに取り組む前に吸ったりする。「たばこが美味しいか?」と問われるとなかなか回答に詰まる。美味しいと思うときもあり思わないときもある。習慣であり依存ではないのだろう。
であるから、たばこでなくても良いのかもしれない。

いずれにしても、口愛期に満たされなかった事の証明ではないだろうかと思う。口寂しく感じるのはまさにそうだろう。
満たされれば、その時は吸わなくとも大丈夫なのかもしれない。問題は満たされる事があるのかどうか?。

それにしても、何もやる気がしないのは困ったものである。
楽しい事って何だろうか?。欲しいモノを手に入れることなんだろうか?。いや、それだけではないはずである。しかし、我慢に我慢を続けストレスを感じているのも事実である。

自分で問うてて答えるのも変な話であるが、楽しいことってのは行動した過程を面白く感じることなんだろう。そう、感じることなのだ。
ワタクシは感じることが苦手である。考えてしまうのである。こうすれば「楽しいはずだ」とか、これは「楽しくないはずでは?」と考えてしまう。時には「楽しまねばならない」と思うときもある。フィルタをかけてしまうのだろう。またはラベリングか?。
であるから、素直に楽しいと感じることができない。楽しいと感じたとしても「はて、何が楽しかったのだ?」と振り返ってしまう自分もいる。うまく分析できれば良いのだが、いつもそうとは限らない。むしろうまくいかない方が多い。よって「楽しいってなんぞや?」と考えてしまうのである。

feel という概念が良く解らない。というか、概念なんか考えなくとも良く、どうしても考えるのならプロセスが済んでからで構わないのだろう。
健康な精神を持っていれば自然と感じることであって、それについてどうのこうのと頭を巡らせてもあまり意味がないことなのかもしれない。どうのこうのと考えてしまう時点で健康な精神ではないのかもしれない。
ともかく、色々なことに challenge してみて、結果「面白かった」と思うことが出来たなら「楽しかった」と言っても差し支えないのだろう。

なぜ色々なことに try 、challenge できないのか?。その裏になにか潜んでいるのかもしれない。
或いは考えることでそれを補えると思っているのかもしれない。考えなければならないと知らず知らずに自己暗示をかけているのかもしれない。

自身の自由を束縛しているともいえるだろう。とどのつまりは抑圧なのだ。やはりご愁傷様である。
by donkeys-ear | 2010-03-14 00:39 | 心のヤミ