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冷めている

先日の外来でも少し話題になったのだが、ワタクシは俗に言う冷めた人間である。




良いにつけ悪いにつけ冷めているのである。

例えば今なら冬季五輪である。
スポーツに全く関心のないワタクシはほとんど観ることは無い。
同じ日本国民が活躍するのは嬉しいしメダルを取れたら良いと思う。しかしワタクシには関係のない世界である。
身近な人が出ていれば話は変わってくるのかもしれない。
ともかく華やかな世界とは全く縁がないと思っている。

恐らく誰しもがそうだと思うのだが、青春時代は特定の芸能人が好きだったりするのだろう。
この点でも冷めていて全然興味が湧かなかった。

喜怒哀楽全てにおいてあまり顔へ出さないような気がする。
尤も自分でそう思っているだけで周りから見ればバレバレの可能性もある。
中学時代は「何で怒ってるの?」と良く問われた。怒っているつもりはないので「怒ってないよ」と返すのだが、何度も言われると本当に怒りが湧いてくる。結果、幸か不幸か指摘通りとなる。
怒りを感じることは多い。
そういえば一時期、怒ったときに握り拳を作るのが癖だったのだが、握力がかなり増した。それだけ怒るケースが多かったのかもしれない。

喜ぶことは苦手である。本心から嬉しいと思ったことがないのかもしれない。と言うよりあんまり意識したことがないので良く解らない。
楽しいも同列である。何が楽しいのかと考え出すとキリがない。楽しいことをやれと言われると少々困惑する。何をすれば楽しいのだろうか?と。
哀に関しては、いつもそうかもしれない。なんだかいつも悲しいような、虚しいような気がする。

話は少し変わるが、笑顔を褒められたことが数回ある。某病棟ではかなり言われた。
ところが自分では意識して笑顔になっているわけではなく、無意識にそういった表情をしているのである。それを褒められても実感が全く湧かない。

ワタクシは無意識に作り笑顔をしてきたのだと思う。恐らく今後も同じだろう。
過去、感情を表出するのを禁止したのだろう。自らがそう判断したのか誰かに禁止されたのかは解らない。
感情の出し方や受け入れ方が未熟なんだろうと思う。

実際のワタクシは冷めている。時に「我ながら冷酷だ」と思うことがある。
感情を無視して理性のみで判断するからだろう。
自分自身を偽善者と思っているのはこういったところも関係していると思う。事実、良い人を演じていると思うときがある。
by donkeys-ear | 2010-02-20 01:01 | 心のヤミ