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これ以上ない現実問題

あと2週間も経つと新年である。
仕事もしていないのにあっという間の1年である。





昨年の今頃、ひたすら寝ていた。そう、飽きることなく寝ていた。
外来は毎週あったが、それ以外の日は出かけることもほとんどせず、自宅で過ごしていた。
客観的に見れば引きこもりの状態。
当初は1ヶ月だけ休んで仕事に戻る予定でいたのだが、それにとどまらず休んだまま年を明かすことになってしまった。

休むに至る前「もう限界が見えてきたので1ヶ月だけ休ませてもらい、次の仕事までには必ず戻る」というつもりで実務も調整していた。年末は仕事に戻っている予定であった。1ヶ月で体調を立て直せると思っていたのだ。
ところがいざ休み始めたら意欲というものが皆無になり、ひたすら寝るだけになってしまった。しばらくは疲れがたまっているからだと思いながら1週間経ち、2週間経ち、3週間が経ちあっという間に1ヶ月である。
その時点ではどんなことがあっても3ヶ月以内に戻る予定に切り替えた。本来ならワタクシが進めるはずであった仕事の進み具合も気になっていた。
実際にはじりじりとその3ヶ月期限に迫っていても、思うように改善しないのであった。ワタクシ自身も思っていなかったほどの番狂わせ、それが現在まで続いている。

昨年の今頃と比較すれば改善に向かっているだろう。
だが、3歩進んだつもりで5歩も10歩も下がる日や、3歩進んで3歩下がったり、また3歩進んで3歩進む日も稀にあり、トータルで見れば365日歩いても正味180歩進んでいれば良い方である。

まあ、そんなことを気にしても仕方がない。時間は遡ることができないものだ。
悔やむか悔やまないかの差こそあれ、どんな人にでも平等にそして進む方向のみに流れるのが時間というものである。

と、解っておきながらワタクシは悔やむ事が多い。
ただ、何もしないで悔やむより何かしてから悔やんだ方がマシであるとも思っている。行動化がなかなかできないのも事実であるが多少は行動化できるようになってきたと思う。

余談が長くなりすぎた。現実問題である。

少なくとも1年以上は労働活動をしていない。当然、収入は見込めない。
正確に言えばないわけではない。が、最近さらに厳しい状況へ変化した。まあ、それとて恵まれている方だと自覚している。

単純に収入と支出のバランスが取れていないのだ。
収入は仕事を休んでいる以上、どう頑張っても望めない。かといって働ける状況でもない。
支出というのは生きている限り発生するもので、それをいかに切り詰めるかが重要となる。
極々当たり前な話し。入りが決まっているのだから、出を調整するしかないのだ。
ワタクシはこの点において無頓着なタイプで、切り詰める、貯蓄する類の概念が乏しい。
人によって一攫千金とばかりギャンブルに走るのかもしれない。ワタクシは危険な賭をしない人間、否現実的な選択など初めっから選択肢にない。この場合、超自我が勝っていて良かったと思う。ただ、一度それで当ててしまえば依存症になり兼ねないとも思う。危険性はゼロではない。

自分なりにコストを抑えてきたつもりであるが、結果としてまだ支出が多いのだろう。
または年末年始なので支出が増えている可能性もある。新年を迎えるにあたり、必要な物をそろえるのは誰でも同じだろう。
支出が多いと言うよりも、どこかでゼロにしようと考えている節もある。この意味では全か無かという価値判断が強く働いているとも言える。それはできないと知りつつも。

それと中途半端が嫌いな性格も関係している。
無いなら無いで諦めるだろう。無いものはどうしようもない。
有るなら有るでまだ多少の余裕があるという精神的余裕が生まれる。
現段階は懐の余裕がないので精神的余裕も自動的に無くなり(自動思考なのだろうか?)、帳尻を合わせる方法ばかりを考えてしまう。

なるようにしかならないと開き直れないのだ。

さらに、これっぽっちの文章を書くのに2時間も要してしまった。
やはり現実の時間と金銭の管理能力に問題があるのだろう。
ワタクシにはどこか超人的な能力があり、そこでこれらの帳尻を合わせられると思っているのかもしれない。自己愛に対する問題の気付き(Awareness)である。
分析に一歩近づけるかな?。
by donkeys-ear | 2009-12-19 02:12 | 心のヤミ