とりあえず読んでみよう

昨日はデイケアへ行ってきた。午後は音楽療法の日である。
ワタクシはずいぶん前、音楽療法へ積極的に参加していた。

もう数年前になるが、デイケアで音楽療法をやるか・やらぬかを決める時期にもそこへ在籍していた。
ワタクシは病棟で音楽療法を受けた経験があるため、なんとなく(それはデイケアスタッフの見えない期待に応えていたとも言える)他の参加者(患者)さん達を引っ張って、デイケアでもその療法を行うように決めたと感じている。
これは単にワタクシの勘違いの可能性もあるのではっきりしたことは言えない。しかし自分の中では牽引役を担っているつもりではあった。リーダーシップをとったつもりである。





ワタクシが職場復帰してからはデイケアを卒業する方向で調整をしていたため、卒業してからはどのように進められているのか全く知らなかった。
ところが復職してからもたびたび調子を崩し、仕事を休みがちであった。そんなとき、デイケアへ再参加することとなる。ごく短期間であるが。

ワタクシがかつて参加していた音楽療法と進行方法はほとんど一緒であった。
ただ、ワタクシが気になったのは音楽療法の提供側である学生さん達に疑問を持ってしまったのだ。
復職する以前からデイケアで仲間だった人と話をしたとき、音楽療法が以前と比較し雰囲気が変わったことを耳にしていた。それは良い方向へではなく、悪い方向に感じるとの話だった。

音楽療法をして下さる学生さん達、実習を兼ねての活動だと思っている。
ワタクシが復職するまで参加していたその療法では、学生さん達も楽しみながら行っていてくれていたように感じた。お互いの距離もそれほど感じなかった。本音は解らない。少なくとも一体感みたいなものは感じられた。
ところが、再参加してからの療法は、距離は遠くなりとても事務的な感じを受けた。
学生さん達は楽しんでいると言うより義務感とでも言おうか、距離を感じたのだ。それは学生さんのただ一言からでも伝わってきた。
知り合いが言っていたこと。ワタクシも同感だった。ただ、事前に話を聞いていたのでバイアスがかかっていた可能性は否定しない。
ワタクシはその学生さんを責める目的で書いているわけではない。学生さん達のアイデンティティも関わっているだろうし、改善しようにもそのきっかけがつかめなかったのかもしれない。

再参加した結果、その時限りで音楽療法は参加しないことに決めた。他の療法は受けたが音楽療法だけは敢えて受けなかった。そしてデイケアを卒業した。

ワタクシは結局何度もデイケアに入っては卒業を繰り返している。その意味では成長があまりない気もする。いかんなあ〜。

それはともかく、昨日のデイケアも音楽療法の日である。音楽療法の学生さん達は年度毎に入れ替わる。部分入れ替えが多かった記憶がある。しかし、上記体験は数年前の話であり、ワタクシが知っている学生さん達は誰一人いないであろう。
であるから、以前距離感を感じた学生さんはもうこられていない可能性が高い。
ところが一度レッテルを貼ってしまった(ラベリングですね)ワタクシは、音楽療法への参加に消極的である。

そんな経緯があって、音楽療法の学生さん達とお会いしても容易く受け入れることはできない。

デイケアの部屋と別の部屋で音楽療法は行われる。療法終了後デイケアの部屋へ全員戻ってきて、感想などを一言ずつ言うのである。療法に参加していないワタクシも顔を合わせることとなる。
学生さん達は他の患者さん達、デイケアのスタッフ達と仲良く話をしているが、ワタクシにはそこに入っていくことができない。ポツンと一人浮いている感じ。よってまたしても孤立感が襲ってくる。
昨日は朝から足・腰の痺れがひどかった事も関係しているだろう。

と言うことで、昨日は調子が悪かった。まあ、こんな日もあるのだろう。
いずれは音楽療法へ参加する日がくるのかもしれない。
無意識のうちにラベリングするのを克服するためには絶好のチャンスなのかもしれない。

タイトルとは全く関係のないことをつらつらと書いてしまった。
今はカプラン臨床精神医学テキストの人格論と精神病理学の章を読んでみようと考えている。
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by donkeys-ear | 2009-11-12 23:57 | 心のヤミ