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一晩明けて

昨日は無難な事を書いた。
結果としてそうなった。怒りを抑えながら書ける記事はそれしか思い当たらなかった。
怒りをそのまま文章化しても良い。事実、手元にはそのデータがある。ただ、この場所は環境が整えば誰でも見られる場所であり、冷静になったときに振り返って書き直した方が良いだろうと判断した。怒りを感じながらもこんな判断を自然としていたようだ。それは冷静と言っても良いのかもしれない。
であるから、この記事は本日新たに書き起こした。それは昨日(一昨日になってしまうかも?)起きたこと。

想定外と想定内の二つの事がおこった日でもあった。
一つは嬉しく、もう一つは腹立たしく感じた。




ワタクシの身分は社員ではない。勿論社長とかそういう肩書きはない。自営業でもない。
職員と呼ばれる組織にいるのである。多くの方に敵対視されやすい組織。まあ、その組織にも色々あるのだが、細かいことを書くと身元が判明しかねない。組織内で「誰が書いたんだ」と犯人捜しが行われる可能性もある。それで処分をされた人もいるようだ。であるから、迂闊な発言(書き込みですね)は自分の身を貶める事になりかねない。でも、嘘は書いていないし書くつもりもない。

別に誰が良くて誰が悪いとかを言いたいのではない。思ったことを素直に書いているだけ。抑制傾向が強いのは否めない。
だからこれを読まれた方が「こんな事は許されないのでは?(否定的)」や「思っていたより大変なんですね(肯定的?中立的?)」とお感じになるかもしれない。それは人それぞれの解釈で読んでいただければ良いと思う。そしてその解釈を他の場所で展開していただきたくないのだけはご理解賜りたくお願いを申し上げます。特定の考えを流布したい、誘導したいのではなく、感じたことを素直に書いているだけ。それは対外的にはこの場限りなのだ。まあ、この blog は終始一貫してその姿勢で書いているつもり。
さらっと目を通していただければそれで本望です。

羨ましい、妬ましいそのような感情を向けられることがあるように思う。しかし実際にはそれ程おめでたい職場ではない。隣の芝生は青く見えるが実際には青くないのだ。

診断書を持ってきて欲しいと連絡を受け行ってきた。
前回提出したのは休職期間6ヶ月延長で書いてもらった診断書。こんなのは認められんと訂正を余儀なくされた。
最長3ヶ月なんだそうだ。予め言っておいて欲しい。やむを得ず主治医に訂正してもらった。期間は3ヶ月。
これをご記憶願えれば。

現在の診断書の期限が近いので新しい診断書を提出するよう求められた。そこに疑問はない。
認識不足だったなあとは思うが、何月何日から何月何日までとは表記されていない。3ヶ月の延長が必要で認める旨と作成日や主治医のサインなどが記されている。

提出すると、これでは人事が受け付けてくれない可能性があると言う。
しばしお待ちを。前回6ヶ月休む必要があると診断されているのだ。それは開始日と終了日が入った診断書だった。最大で3ヶ月しか認めないと後から言われ、やむを得ず次回の外来の時に訂正をしてもらった。終わりの日付に訂正線を引き、3ヶ月繰り上げて書いてもらった。
今回追加提出したことで前回のニュアンスを受け継いでいるのは明らか。6ヶ月1枚だとダメだから3ヶ月2枚に分割して提出した。普通に考えればそうなると思う。金銭的負担も少なくない。勿論、それだけの期間を要するとの診断に基づいてである。「もう、行けますね」と診断されれば戻るつもりでもいる。実際に現状ではとても出勤などできる状態ではない。足の問題だって新たに出てきているのに。

「そもそもは6ヶ月間だったものを3ヶ月間として加筆訂正し前回提出した背景がある。前回は認めてもらえなかったその後半としての3ヶ月だと私は思うし主治医も同意見だと思う」と言ったところ、事務方(上司でもある)は人事と電話で話し合い、診断書は作成日から3ヶ月休職を延長する手続きを取るために受領された。どうも先方も納得はしていない模様。
ワタクシの本音は開始日・終了日の区切りが中途半端で納得いかなかったが、一分一秒でも職場から去りたい一心で申し立てすることなく承諾した。なかば「どうにでもなれ」だ。
背景がどうであれ書いていないことは認められない。何でもかんでも文書がないと進まない(進められない)のは内でも外でも一緒。
個人的には対外的にそのような必要を迫られたとき、今後これらの書類が必要になるので用意してくださいと伝える。渡すことが可能な物はお渡しする。それらは今回において見られなかった。そこには色々な意味で過信があったのかもしれない。

やっと落ち着いた後、今度は根掘り葉掘り質問される。まあ、先程書いたことは想定内とは言い難いが、だいたい思っていたとおりに話は進む。このような状態を「大筋で合意」と言うのだろうか。
細かいことでは朝何時に起きて何時に寝ているのか、日中は何をして過ごしているのか、どのような場所へ出かけているのか等々。
もっと早く寝て早く起きた方が良い、運動をした方が良いなどと言われる。そんなことは言われなくとも解っている。それができないから困っているのであり、一番問題意識を持っているのが何よりこのワタクシ自身だと感じている。
終いには「休職中とはいえ自分の身分をわきまえた行動をするように」と言われた。意外である。十二分にわきまえて、自分を抑制しているつもりである。抑制・抑圧しすぎてこんな状態になっているのだ。であるから、開放を心掛けた方が治療へつながる。この blog を始めた理由の一つでもある。
発言は過去に行われたあるイベントへ参加したことを間接的に非難されたのだ。

そのイベントの受付最終日、ギリギリの時間まで迷った。終了まで数分の時点で決断した。
治療期間中だからイベントへ参加するのはあまり良くないことだと節度を持って考えていた。その反面、これを逃したら二度と(そこでの)チャンスはないかもしれぬとも思っていた。とても珍しい場所での開催だったのだ。
主治医に相談したら「そういうのはどんどん行った方がイイ!」と言ってくれて、その後も迷ったけれど人混みで過ごすのも治療の一環になるかもしれないと判断(これが上司に言わせれば誤った判断なんだろう)し、自分の精神状態を試すためにも参加をしてきた。
ちなみに充実を実感した一日だった。

それをよろしくないと言われたのだ。「先生に相談したところ…」と言いかけたら、先生は良いというかもしれないが、身分としては薦められる(好ましいだったかな?)行為ではないよね!と言われた。
「誤解を受ける可能性は否定できません」と言って収めた。

はて、休職している職員は楽しんではいけないのだろうか?。精神を病んでいる人達が楽しみを見つけ出そうとしてはならないのか?。それによって精神の健康を取り戻そうと考えるのはいけないのか?。
いけないと言う方がおられたら、是非ご意見を伺いたい。明確な理由を教えて頂きたい。曖昧なことや感情論ではなく。
勿論、それが海外旅行など日常的なものと甚だしく乖離しているのであれば許されるはずはない。社会常識的に考えて許されるとは思えない。しかし治療上必要(たとえば、イルカと泳ぐのは精神に良いそうだ)であれば、場合によっては許されても良いとは思う。合理的理由があり客観的に見て疑う余地がなければ、許可されても良いと思う。それは「そんなのずるい」という視点ではなく、全ての職業において同じで我々の職だけ非難されるのはおかしいと思うし、他の職業の方達も認められることであって泣き寝入りしないように変えていく事だと思う。ちなみに我々だって税金を納めているし、義務を負っている。

ワタクシの場合、たった一日。それも遠いところではない。片道1時間かそこら。この日は休祝日でもあった。それすら許されないというのか。
病人は自宅でじっとしてろとでも言いたいのだろうか。しかし、じっとしていては病状が良くならないのがワタクシの抱えている病であり、できるだけ外へ外へと行動するのが目標の一つである。
(治療)目標の一つとして、それを意識して参加したにもかかわらず、非難されるのではどうすれば良いのだろうか?。

まあ、相手の気持ちも解る。立場もあるだろう。ただ、今回に限っては冷酷さを感じた。
ワタクシの所属してるところでは、要らぬ誤解を受けないように気を配る必要がある。それは私生活でも求められる。そこ自体に休職は関係ないとも思うのだが。

日頃から清い行動をしていれば、誤解を受けても説明をして理解してもらえることだってあり得る。
誤解ばかり、周囲の目ばかり気にしていては、何もできなくなってしまう。
一方で我々の職業に対して厳しい目もある。酷いことを一部の人間が繰り返してきたから。その厳しい目は行き過ぎと感じるときもあり、我々にとって萎縮する方向へ働く。

我々の組織に対しては特別に恨みや憎みを抱く方が不幸なことにおられるようだ。それはお互い個人ではなく、集合体となったときに猛烈なバッシングを生む。組織対社会のような構図だ

一点でも曇りを見付けると容赦なく叩かれる。否があれば素直に認めれば良いのだ。かといって、全部が全部我々に否があるとも限らない。否がないのであれば正々堂々と弁明するのが健全な社会だろう。ところが実際には弁明の余地は与えられず、一方的に我々が悪かったと処理される事が多い。何もしてなくとも、それが正しい行為だったとしても親方○○○と言われ責められる。これはいじめにも近い行為だ。
まあ、天下りとかワタリなんてのは確かにいかがなものかと思う。ワタクシの身分ではまずないのでご安心を。
悪いことをしている人も残念ながら居るんだろう。それらの人は厳罰を受けて当然だ。
冷静に考えていただきたいのは、全ての職員が悪いことをしているのではありませんということ。一生懸命業務している人は沢山いる。身体を壊しそうになりながらもなんとかこなしている人も知っている。逆にそれなりの仕事しかしていない人もいるような気がする。でも、それはどんな職業でも一緒なはずだ。
壊してしまったのがワタクシというつもりは全くない。ワタクシの場合、職場でストレスを感じていたのは事実だが、それは誘発因子であって原因とは言い難い。でも誘発はされたから無縁とも言い切れない。

周囲から見るほど楽ではない。頑張っただけ給料が上がるシステムではないし昇進もするとは限らない。昇進欲がないのでそんなことはどうでも良い。真面目にやればやるほど自分を追い込むこともある。
重箱の隅を徹底的に突かれる身になったら、もしご自分がこの立場だったら、どうお感じになるだろうか。

職業的アイデンティティーを過剰なまでに求められるのは辛い。ワタクシは自分自身にそれを、職業関係なく人として清廉潔白であることを求めすぎて疲れてしまい、この病を患ってしまったとも思える。
自分でそれを適度な範疇に保つためにはどうすれば良いのかと考えているとき、強めることを求められた。それも自分の中で例外的に活動したことを非難された。これ以上の皮肉はないと思う。
早く帰りたいが自分の所属する部署へ行かないのも失礼極まりない。行って上司と話をしたところ慰めてくれた。ありがたいお言葉を頂いた。
1人1人にお話ししようと毎回思うのだが、忙しそうで声をかけられないのも毎回である。わざわざ時間を割いていただくのも申し訳なくて。きっかけがつかめない。
ここまでが想定内、腹立たしく感じた話。

想定外の嬉しい話は主治医の blog にワタクシに対するコメントが書かれていたこと。 URL を教えて欲しいと書いてあった。いやあ、ビックリした。
この blog は積極的に公表する目的で書いているわけではない。よって非公開コメントとして記入した。本当はゲストで入って全然知らない立場を装い URL を記入する方法も考えたが、残念ながらゲストトコメントは受け付けてもらえないようだ。特定され難い方法は非公開とするよりなかった。

1人でも多くの方に見ていただいてご意見を頂くことができれば嬉しいしお願いしたいけれど、自ら「見に来てください」と媚びるのは、この blog を始めるにあたって決めたことに背くことだと感じている。
インターネット上でもイイ人を装うのは、この blog の存在を否定し脅かす事へつながるのかもしれない。ここはワタクシの本音を扱う場所である。それはネットの特徴を最大限に用い実現している。

幾多の blog を見ているうちに偶然発見し「そんなこと考えてるの!」、「私も同じような境遇ですよ」、「また見に来ますね」と思ってもらえればそれで十分。欲を言えばコメントが欲しいのも事実としては認識している。この認識を行動化できれば、ワタクシの精神は健常と同等になるのかもしれないとも思う。

先生、許してください。
by donkeys-ear | 2009-09-17 01:33 | 心のヤミ