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平和団体に思う

カテゴリ「雑感」の記事なので、昨日の続きとは全く違う。
一連の内容はまた書くつもりなので、そちらはしばしお待ち下さい。

ネットのニュースで一つ気になったので取り上げてみようと思う。
地元の行事で陸上自衛隊が銃器を掲げて町中を行進したら、平和団体から抗議があったそうだ。
個人的には「そうなるだろうね」が正直な印象。
念のため、弾は入っていなかったそうだ。




平和団体とは一体全体どのような考えを基に行動しているのだろうか。

平和を掲げている以上、平和を願っている人たちの集まりであることは理解できる。平和を楯に自分たちを有利な立場へ運びたいのであれば、疑似平和活動でしかない。そんな人はいないと信じたい。
平和を盛んに主張されると疑問が生まれてこないだろうか?。
平和を願わない人がこの世にいるのだろうか?。殺し合いや残虐行為を自ら望む人はいるのだろうか?。
地球上の全ての人(に限らず全ての生き物)が衣・食・住に事欠かず、各人で幸福感を得て生きて行く事ができれば、他人から必要以上に干渉されなければ、そして互いにあまり欲を張らなければ平和と言っても良いのではなかろうか?。無論、理想だ。

ところが現実世界を考えると、残念ながらかなりのギャップがある。欲だらけだ。
強靱な軍事力で相手に脅威を与えているところもあるし、既に被害が出ているところもある。
それは各々の都合により武力行使せざるを得ない状況であることは理解を示す必要がある。多くの場合、自分たちが正しく相手が間違っているとバランスを欠いたとしか言えない主観的判断により争いごとが勃発する。応戦する側も主観が働くのは無理なかろう。誰だって殴られれば殴り返したくなるものである。しかもこちらに否がないにもかかわらずそれらの行為を受けたとなればあるいは以前から挑発行為を受けていれば、攻撃を抑制する態度には向かわない。

根底には有利な立場を得るための戦いで、客観的に見て一方的な価値観による誤った行為を受けたと第三者が容認できれば、バックアップや仲裁に入ってくれるところも出てくるのかもしれない。時にそれが火種となって拡大することもある。
世の中には恐ろしいまでに自己中心主義な国や地域もあるようで、何のしがらみのない立場から見れば、正義でも何でもなく自分勝手で形振り構わず、我が儘を言っているとしか判断できない場合もある。
まあ、犠牲を払ってでも有利になりたいと思う人たち(たぶんごく一部)が、日頃目障りな相手に因縁をつけて武力行使に至りあるいは至らしめ、因縁をつけられた側も自らを守るためそれなりの行動をする。それが戦争と呼ばれるのだろう。

今日日もっとも驚異力のある手段として核兵器があるだろう。有利な立場を得たければ、リスクを承知で核武装への道を歩みがちだ。この時点で既に対等な関係を築くことはきわめて難しいことであり、相手はもはやそれを望んでもいないことも解る。

反核を唱える人に尋ねてみたい事として「原子力発電所についてはどのようにお考えですか?」が挙げられる。
万が一、原発含めた平和利用に限って認めるのであれば、本質を理解できていないと判断する。

平和利用であれ軍事利用であれ、核に違いはない。平和利用であっても一歩間違えば大変な惨事を招く。実際、チェルノブイリでは史上最大規模の悲惨極まりない結果となり、それは現在進行形でもある。
原発があれば否が応でも核はそこに存在する。それを兵器に転用しようと思えばそれほど難しくはないだろう。
さらに言うと核兵器を持っていなくとも、相手の原発含めた核施設へ向けて破壊力の大きな通常兵器を打ち込むことで、大打撃を与えることは可能であるとワタクシは考える。
もっとも、核兵器の方が直接的ゆえ、高効率だろう。しかし、核兵器を持っていなくとも似たような惨劇を展開する気になれば、可能性は残されている。
核の脅威は周囲に核施設が存在する時点で考えざるを得ないことなのだ。本来、兵器利用と同時にいや、それより先に考える問題かもしれない。
今の時代、何でもかんでも電気に頼りがちだ。その電気、約3割は原発からの供給。これを失っても良いのかどうか。その辺りも頭に叩き込んでおかねばなるまい。事態は複雑怪奇である。

核兵器全廃を唱えるのは被爆国の日本が先陣を切ってやる意義も大きい。
ただ、それを国内で口にしているだけでは全く意味がない。諸外国、特に保有国と保有を望んでいる国や地域で同じ価値観を共有できる人をどれだけ増やすか、権力を持たせるかが最大の問題。
そもそも外国どころか国内で議論になっているのだろうか?。一部の関係者だけではないだろうか?。国民の多くが身近な問題として考えているとは思えない。

有利な立場に居たいが故に、国や地域によっては今現在も、躍起になって核兵器を開発しているのが実態である。
それらの国々、地域に核兵器廃絶の理解や協力を得られるのか非常に疑問だ。

動画サイトなどで色々な方の話を聞くと、核兵器が実際に使用されることは非常に考えにくいようだ。なぜならば、たった一発使った時点でこの世は終わるからである。
ここからは超個人的意見
核の特性上、近隣諸国に向けて打つことも考えにくい。放射線はあっという間にものすごい量が広がる。近ければ近いほど自国にも長い期間影響を受ける。目に見えない存在であり、遠くまで届き残留期間も人の一生より遙かに長い。対岸の火事では済まないのだ。
自国から離れた位置を狙って撃ったとしても、核保有国は残念ながらいくつか存在する。
世界の警察を声高にさけんでいたアメリカ、その敵国だった旧ソ連、保有国はヨーロッパにもあるし、アジアでも中国が保有している。
核保有を公言していなくとも、隠れて持っている国や地域だってあるだろう。いずれにしても知らず知らずに色々なところへ存在していると思った方が無難だ。
そんな中で、ある国、ある地域が撃ったらどうなるだろうか?。撃たれた(当たった)側は甚大な被害を受け再生も不可能かもしれない。狙ったところへ落ちず、想定外のところへ落ちる可能性もある。どちらにしても撃たれた側は壊滅だ。同時に撃った側も集中砲火を浴びるだろう。その中には核弾頭が搭載されているかもしれないし、通常兵器だけかもしれない。ただし、一発でも核兵器を使ってしまったのだから、他の核保有国も自国の存続のため、最初に撃ったところへ打ち返してくる可能性は残る。となると、たとえ一発ずつであったとしても、核の撃ち合いとなり結果として最初に打ち上げた国・地域は滅ぶ。世界各地に影響が及び、この世はあの世と化すだろう。生き残った人たちが居ても、放射線の影響を長年にわたって受け続ける。つまり人類のエンドを迎えるのだ。

「持ったら使いたくなるでしょ?」と人は言う。そう簡単に使ってみようと思わないはずだ。上記内容を念頭に置けばである。持っているから使うとは限らないのではなかろうか。だからといって試しに持ってみようは通用しない。


これらの緊張感を受けるだけではなく与えることができるのが核保有する最大のメリットだと思う。使う・使わないではなく「使えるんだぞ」と意思を表明するのが重要なのだ。たとえハッタリであっても相手を信じ込ませれば十分だ。
個人的には我が国もその気になったらそれほど時間を経ずに作れるのではないかと思っている。つい先日も H2B ロケットが成功したようだし。どちらかと言えば作らない方が良いとも思うけど。
世界中あらゆる国がこの緊張を感じているはずで、核兵器を保有すれば保有しない国より有利な立場なのは明らかである。

平和団体はこれらの事実を受け入れているのだろうか。
事実に基づいた具体的な提案や行動をしない限り、何の現実味も帯びない机上の空論でしかない。それはどんなことでも反対を唱える時には考えるべき問題でもある。相手をこき下ろしても代案がなければ相手にされないのだ。
さらに自分たちが変わればそれにつれて周りも変わるという保証も全くない。それらを望むことは目標にはなるが現実的ではない。

平和を願う気持ちは解るしそれを実現して欲しいとも思う。
でも敢えて言うと、実際は我こそ正義とアピールしたいだけで事実を受け入れず終わってしまったならば、何でもかんでも反対をさけぶのであれば、言葉が一人歩きしているだけならば、ままごと程度の価値しか見いだせないと思う。
そんなことより、一人でも多くの人の事実認識を促す活動へ向かえば、平和への道は開けてくるのではないだろうか?。

事実が明るみに出た時、誰もがそれを認めざるを、考えざるを得なくなった時、反対派と賛成派に別れるだろう。当たり前の話だ。それを経てやっと議論ができる状態となる。今は議論すらろくにできていない。両派が勝手に否定しあっているだけ、我こそが正しいと言い張っているだけで、解決へ向かっているとは考えられない。足の引っ張り合いは政治も含めていい加減にして欲しい。

議論できる状態になった暁には、その時こそシュプレヒコールの意義を見いだせるのではないだろうか。これを言ってみたかったのだ。

と、また偉そうに書いてみました。
by donkeys-ear | 2009-09-14 00:15 | 雑感