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恋愛かあ〜

所詮無理な話である。少なくとも今のワタクシには。




 本日は外来。朝早く起きたため病院へも早く行った。予約時刻は10時であったが30分も早く呼ばれた。「あれ、先生珍しく暇なのかなあ〜」と思いながら足早に向かった。

 やや想定外な状況だったものの、外来の看護師さんが気を利かせてくれて先生に確認して頂き、無事に診察室へ入る。
 で、ワタクシがblogで綴った事などを話した。blogを書いた後日の心境変化なども尋ねられた。
今でも引きずっているのか?である。悲しいかな、引きずっている。立ち直ろうとしているところだ。

 相手の女性がどんな立場かを考えれば、元々無理があったのである。これは(ワタクシにとって)残念であるが避けられない。断っておくが、既婚者ではない。ワタクシは不道徳な事が大嫌いである。今となれば「当時は」とのコメントをつけねばならないのだが。どうかお幸せに。
 数年間お会いする事もなかったし、ワタクシの中で整理が付いた(と思っていた)からこそ立ち直ったと思っていたのであり、会う事も二度とないと思っていた。ところがそうは問屋が卸さなかったようだ。まだまだワタクシには試練が待っているのだろう。幾重にも。


 一般論として、人が恋する(した)時、二つのケースがあるようだ。
1.自己愛的恋愛
 一緒にいるだけで楽しいとか嬉しいといった恋愛で、
 女性に多い傾向があるそうだ。
 一緒にいる事で自己愛が満たされるという事で、極端な話、所有物に
 愛着を持つのに近いのかなあとワタクシは受けとった(間違いの可能性有り)。
 ステキな彼氏・彼女を友達に見せて自慢するなど。
 そこまでいかなくとも存在を感じるだけで自己愛が満たされるのであるから、
 相手はかなり理想化された人となる。
 非常に魅力的な異性という事になるだろう。何を魅力と感じるかは人それぞれ。

2.相互補完的恋愛
 読んで字のごとく、自分の持っていない面に引かれ合うケースだと理解した。
 お互いの長所などを補完し合うので落ち着いた恋愛になると思われる。
 長続きもするであろう(あくまで予想)。

 ワタクシは1.の自己愛的恋愛に当てはまるのでは?との見解であった。
確かに好きになる時は一目惚れが多かったように思う。正確にいうならば、3回くらい会えば恋愛対象範囲内か範囲外かは決まる。3回程度会ったくらいで相手がどんな方なのか知るのは難しいと言うより無理である。相手を知らなければ長所や短所は解らないので、相互補完に重きを置けばこの時点で対象範囲が決定する事はないのかもしれぬ。
 少しずつ距離を縮め「こんな一面があるんだなあ〜」など、色々発見を重ねて行くのが相互補完的恋愛の醍醐味であり核心なのだろうと思う。恐らくは。

 先生に自己愛的恋愛が多いのでは?と言われた時、若干抵抗を感じながらも「そうかもしれません」と言ったと思う。しかしである。ワタクシは重要な事を言い忘れてしまったのだ。

 何度か書いたがワタクシには醜形恐怖がある。ワタクシの外見ポイントは恐ろしく低いどころかマイナスだと思っている(周囲からは『普通だよ』と言われているが)。確かにワタクシが惹かれる人はかなり魅力的な女性ばかりでもある。そうではない場合もあったので説得力に欠けるかもしれぬが、真の意味は相互補完なのではないか?と気付いたのである。美女と野獣。
 相手の女性が特に魅力的だからと言って満足感に浸れるかを考えると疑問を感じる。逆にワタクシのあまりの醜さに申し訳なさも感じるように思う。「こんなワタクシと一緒に歩いてもらって良いのかな?」とか。
でも、大凡自己愛的恋愛に当てはまるのだと思う。

 これとは別に、ワタクシ個人の恋愛には「2パターンあるようだね」との話もあった。
一つにはワタクシが魅力的と感じた女性に近づけない事。
もう一つ、ワタクシを好きになってくれた(と思われる)人に対しては尻込みしてしまう事。
 正直に申して、ワタクシが魅力を感じた女性から、ワタクシに興味を持っているような雰囲気を漂わせている人も過去何人かいた。が、これは先ほど書いた2つのパターンどちらにも合致している。情けない事に身動きが取れなくなってしまうのである。
 勿体ない事をしたような気もするが、ワタクシは危ない橋を渡ろうとはしない。確信がない場合、何事もなかったように振る舞う(振る舞ってしまう)のである。これは恋愛に限った話でもなく、その他の場面では確信を得るように何とか行動するのだが、恋愛場面では得る手立てが思い当たらない。
「卑怯者」とか「意気地なし」と言われれば認めます。ごめんなさい。

 先生には「撃沈覚悟で!」と言われたし、みんなそのようにした中で、相手と巡り会ったのだと思う。売り言葉に買い言葉ではないが下手な鉄砲も数打ちゃ当たるの精神で臨まないとダメですよねえと応えていた。できないくせに。

 でも、ワタクシにとって勘違いほど恐ろしいものはないのである。こちらから接近していった(できるのか?)挙げ句、「はあ、勘違いですよ、それ」と言われようものなら、情けなく恥ずかしい。ワタクシ自身思い上がるにも程があると思ってしまうのである。以前も書いた記憶有り。逆にいうならば、思い上がれない、有頂天とはほど遠い人間なのである。
 実は、今回の失恋に至るまで、ワタクシは珍しく頑張ったと思っている。まあ、それもたいした頑張りではなかったのだろう。それと「無理なんだよな」感が回を重ねる毎に増す。それが原因だとは思わぬが、体調を崩してしまった事で距離は開き(そもそも縮まっていないので距離は開く一方)、より高嶺の花との思いが強くなった。
 とどめを刺されなかっただけ、まだ救いがあったのかもしれぬ。ひょっとすると、それとなく配慮があったのかもしれぬとさえ思う。
 まあ、恋してた時は辛い日々を乗り越えるだけの力を頂いた。それだけでも感謝せねばならない。言うならば、ワタクシが勝手に期待しただけである。それが大きな間違いであったのだ。間違いが実証されただけの事。ハハ。

 むかし「男はつらいよ」や「トラック野郎」を見た時に「男の生き様とはこんなものなのか」と感じた。寅さん、桃次郎とも淡い想いを寄せるマドンナが別の人と幸せになるというストーリー、しかもその二人のために手を貸し、自分の気持ちに嘘をつく。男の哀愁を漂わせるのだ。寅さんは新たな旅に出て、桃次郎はトラックで走り去って行くのである。
 それにしても、二人とも同じ事を繰り返すんだよなあ。ワタクシも同じだったりする。精神分析用語で言うならば反復強迫にあたるのかな???。あ〜、これは完全な投影だな。話がずれちゃった。

 恋愛が始まるか否かの時、確信など得られるはずはないのであるが、そこに固執してしまう自分がいる。なんであれ、積極性が欠如しているのは間違いないだろう。なぜ積極的になれないのかは今後掘り下げ、詳らかにしていく必要があるのだと思う。ここに書くか書かぬかは別として。

 先ほどとは別に、こちらは何とも思っていなかったり、絶対にそういった仲にはなりたくないというケースもあった。このような時は距離を置くのみである。これは先ほどと立場が逆転し「勘違いしないで下さいませ」と思う。ただし、誤解を招いた原因がワタクシにあるのなら「すみませんでした」と頭を下げる気持ちも持っている。

 なんだかこう書いていると、全くモテないってわけでもないように見える(読める)が、環境的要因でそうなったのだと思う。たとえば男性が少ないとか、いても年齢層に開きがあるとか、限られた枠組み内での生活や活動とか。
 つまりワタクシに魅力があるのではなく、選択肢としてワタクシしかなかったのではないか?と思うのだ。
 ある日突然地球上に女性が一人だけ、男は腐るほどいる。男は一人の女性を取り合うようになる。そんな映画か何かがあったような気がする。まあ、こんなにシリアスな話ではないが、例えるならそんな感じだろうか?。
ともかく、ワタクシの場合モテるとは言えない。

 別に不特定多数の女性にモテたいと思わない。モテるというのは本来不特定多数の異性に興味を持たれる事が定義だと思う。であるならばモテなくとも良いのだ。
 ワタクシが恋した人だけに興味を持って頂ければ良いのである。一人で良いのだ。まあ、永遠に続くとも限らない。そうなった時には新たな一人がいれば良いのである。
 ワタクシが求める相手とワタクシを求めて下さる方のマッチングも難しい問題である。妥協が必要とも思うが、妥協しすぎると何のための恋愛なのか、好きでもない人と付き合う事が恋愛と呼べるのかと言う話になる。明らかに違う。

という事で、ダメだこりゃとの結論である。現状のままでは。

 婚活だ!と努力されている方もいらっしゃるようだが(ワタクシの知る範囲では見た事ないんだけどなあ)、枯れ始めているワタクシにはそのバイタリティに驚くのみである。
 一人も気楽で良いものである。きっと、強がりなんだろうけど。その強がりがいつまで続くのか、このままではまずいと考えを改めるのか。どちらが先に来るか全く解らない。まあ、出会いだな。
by donkeys-ear | 2011-05-02 23:18 | 心のヤミ