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引き籠もり二日目

案の定、今日は午前中も寝ていた。




一応、朝(とは呼べないか?)は起きて食事をした。9時くらいだろうか。
その後、14時くらいまで寝ていた。起床後昼食をとり、職場へ連絡を入れた。事務連絡である。
それからはうつらうつらしていた。

身体の変化に注目してみよう。
耳の調子がさらに悪くなった気がする。
月曜日の検査では低い音が聞き取りにくいと出ていたのだが、それだけにとどまらず高めの音もおかしい。絶対音感は持っていないのではっきりとは言えないものの、音程ががずれた感じである。
最近の家電製品の多くは操作音がする。それがいつもと違って低く聞こえるのだ。

まあ、経過観察中であるため特に焦る必要はないのだろう。
それと器質的変化ではないのだろうなあと思うのである。精神的な状態が強く関係しているとの認識を改めて感じたのであった。或いはメニエール病の可能性が高まったのかもしれない。
これを気に病んだところで良い方向へは向かわないだろう。
その代わりと言っては何だが、足の痺れはここ数日それほどひどくない。昨年の夏からはじまった足の違和感は収束の方向へ向かっているのかもしれない。これも経過観察が必要である。

さて、せめて寝ているときだけでも楽しい夢を見たいと思うのであるが、見る夢はワケが解らないケースばかりである。夢を見る事は無意識の願望を叶えるためでもあるのだ。恐らく、ワタクシという人間の中で最も抑圧が弱くなるのは寝ている時だろう。

先日はワタクシが以前勤めていた会社の同僚が夢に出てきた。同僚に限らず、その会社に対しては罪の意識を持っている。
夢の中には一番仲が良かった同僚が出てきたのだった。ワタクシは言い訳をしていたように思う。
「辞めたけど、その後は悲惨なことになっている」とも伝えたような気もする。

いわゆる自責の念であろう。それは客観的に見ればあまり意味のないことかもしれない。
なぜなら時間を遡ることはできないし、今更詫びたところで何かが変わるわけでもない。出来ることがあるとするならば、同じ過ちを繰り返さないことだろう。
他にはその会社の繁栄を願うことくらいだろうか。
どんなに自省してもそれはもう届かないのである。辞めてしまったのだから。

話は変わり、ワタクシには金銭価値というものを理解できていない可能性があると考えている。
ここ数ヶ月、金銭的にとても苦労している。今までこんな目にあった事はなかった。
逆に言えば今まで困ったと感じたことがほぼなかったとも言える。

金銭的に恵まれた環境かどうかは解らない。学生時代もアルバイト等をしたことがない。
「それだけ親から援助を受けていたのだろ!」と言われればそれまでである。しかし、あまり使う事もなかったように思う。
ワタクシの友人はバイト代で色々な物を買っていた。ワタクシはそれを見ても特に欲しいとは思わなかった。「よくやるなあ」とは思っていたが。
支出があまりないから収入がなくても困らなかったのだ。当然、必要な物は購入した。でも、それ以外はあまり買うこともなかったように思う。
何か買おうと思えばお年玉で買っていたように思う。月々の小遣いも特にはなかった。申告すれば多少はもらえたのも付け加えねばなるまい。ただし、たいした額ではない。

そのスタイルのまま社会人となった。
正直言って、仕事の対価として給料をもらっていたという気持ちはあまりなかった。給料は口座振り込みのため、実感が湧きにくかったのかもしれない。
さらに仕事自体、転勤するまでは結構楽しかった。これは現職に就き、振り返って考えればの話である。
転勤してからは全然楽しくなく、毎日がパニックであった。何をやったら良いのかワケが解らないときも少なくなかった。
そんなこともあって転職をしたのだった。そして今に至っている。転勤・転職をしなければ、また違った人生を歩んでいたのかもしれない。
そういえば、給料は他社に比べ安かったと思う。でも、それに対する不満はほとんどなかった。

勤めている限り、自動的に給与が振り込まれると思っているんだろう。
それが自分の納得のいく仕事であればまた話は変わるのだろうが、そうでもない場合、まあ多くの方はそう割り切っているのだと思うのだが、そういったケースではさらに実感が湧きにくい。
なんとなく頂いてなんとなく使ってしまう。使う事もストレスのはけ口になっているようにも思う。だからこそ貯める事が出来ないのだと思う。
金銭に対する執着がほとんどない。これは普通に考えれば困った事である。
そのくせ、物に対する執着はある。物を捨てられないのだ。勿体ない精神が働く。

金銭に対する価値観、それは労働の対価という事が理解できていないように感じている。
好きであろうが嫌いであろうが、食うために仕事をする。この考えが不足しているのではないだろうか?。
その一方で働かざる者食うべからずという言葉は頭の中にあり、その通りだと思っている。ある意味、アンビバレンツといえるかもしれない。

今更であるが、この感覚を修正するチャンスが巡ってきているのかもしれない。もしくは好きな事を仕事にするのがワタクシには合っているのかもしれない。

金を得るために開き直るか、納得いく仕事を追求するか。究極的にはどちらかしか選択肢はないのだろう。

先生は「職人向きだよねえ〜」と言う。でも、職人になるためには下積み期間が必要である。若くはないのでその道も厳しいのではないかと思っている。さらに人材募集をしているのかも疑問である。センスも必要だろう。はっきりとしたビジョンも今のところ見付からない。
つまり開き直るしかないように思うのだ。
by donkeys-ear | 2010-03-03 23:00 | 心のヤミ